それ、問題です!

引退した大学教員(広島・森田信義)のつぶやきの記録

自制心について

2020-10-04 18:18:54 | 教育

 テニスのUSオープンで、名選手のジョコビッチ(セルビア)が、苛立ちのあまりに撃ったボールが線審の喉を直撃した。彼はスポーツマンシップに反する行為をしたということ及び、試合後の記者会見を拒否したことを理由に失格とされるとともに多額の罰金が課されたという。

  多くのスポーツにおいて、選手個々人の感情むき出しの行為や人間としての品位を汚す行為は、当然否定されているが、ことテニスに限っては、自分のプレイに対する不満や審判に対する不満を露わにして、コートにラケットを打ち付けたり,ふてくされるなどはさほど珍しいことではない。コート内で、不機嫌を隠すことのない選手を見ることも稀ではない。

  かつて、国内の女子テニス大会で、自分のミスの度に,観客がため息を漏らすのが気に入らない選手が、「黙れ!(シャラップ!)」と叫んで問題になったこともある。

 試合後のインタビューにも、一流の選手の対応としてはどうかと思えるレベルのものが少なくない。しかし、これを個性的だとか率直であるとかとして甘受する(時に,評価する)傾向もある。

 日本スポーツマンシップ協会なる組織(一般社団法人)がある。その協会の目的の記述の中に,スポーツマンシップの本質的価値として、次のような内容が書かれている。
・スポーツマンシップの普及・啓発・推進を通して、よりよき人を育み,よりよき社会づくりに挑戦していく。
・プレーヤー,ルール,審判の尊重
・苦しい試練を耐え抜き,全力を尽くして楽しむ覚悟

 多くのスポーツは、このような精神を尊重しており、逸脱行為には厳しい目を向ける。 大相撲では,勝者の大げさなポーズはタブーであり,外国人横綱の行為が問題になったことがあり、卓球でも、高校野球で同様であった。オリンピックの柔道決勝で、脚をけがした日本人選手と対戦した相手が、けがした脚を攻めることなく敗退したこと(事実は異なるらしいが)が美談として語られたこともある。スポーツマンシップは,多くの人にとってかけがえのない価値を持っており、それゆえにわれわれは,スポーツに引きつけられるのであり、その価値に反する行為には怒りを覚えるのである。

 スポーツマンシップの内容や事例についてあれこれ書いたが,すべての根底にあるのは自制心(セルフ・コントロール)である。

  このような精神は、スポーツに限らない。このところ高齢者による反社会的言動が問題になるが,老化は自制心という、幼児にも共通する、ブレーキ装置の機能不全を生み出す。また、先日のアメリカの大統領選候補者であるトランプ氏とバイデン氏の直接対決の品のなさにはあきれ果てた。自制心欠如の好例であった。文化の相違のみでは解釈できないものがある。買収などのいかがわしい行為はあるが、わが国の文化は、まだまだ捨てたものではないところもある。

 折しも日本学術会議の新会員として推薦された者のうち、首相が、六名を承認しないという事態が発生した。意見を異にする者の存在を認めないという近隣の独裁国家のような行為ではなかろうか。これは学界の事情には疎いはずの首相の単独判断というより少なからぬ人間による合議の結果ではないかと推測されるところが怖い。かくして,自制心のない裸の王様が誕生するのである。政治家たる者、世の中の過半の人間は,自分の批判勢力であると言う程度の認識が,行き過ぎを防ぐ「自制心」の原動力になるのではなかろうか。


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