それ、問題です!

引退した大学教員(広島・森田信義)のつぶやきの記録

「排除」の思想と行為

2019-10-17 16:29:08 | 教育

 外国人労働者の子ども2万人以上が日本の学校に行っていないという。また入学したところで日本語未習得のまま放置されている状況下では、望ましい教育はできまい。かつて米国では、保護者の申し出に応じて、多国語での教育をし、疲弊したということがあるという。その後、米国に住むのなら英語を習得すべきだとして、非英語圏の保護者の反対を押し切って、英語による教育が実施されるようになったという。この措置はそれなりに理解できる。わが国では、日本語による学習が可能になる配慮すらないのである。いわば、門前払いである。  私は外国人労働者の多い工場のそばにある公立小学校の校長さんが、外国人労働者の子どものために尽力し、児童も活発に学校生活を送り、日本語も日常生活を通して習得し、日本語のおぼつかない親のために、役所や学校間の情報交換の仲介をしていることを聞きもし、目撃もしている。あるべき国際化、グローバリズムの一例である。   単に労働力が欲しいという実利的な立場で行われる施策、事業は底が浅い。国際協調だのグローバル化などと、英語の教育に熱をあげる明治維新前後と似たり寄ったりの国際感覚から速く抜け出さなくてはならない。  外国人労働者と移民は性質が異なるとの見解もあろうが、子弟の教育を拒否された労働者にとって、成人した子弟にとって、日本という国は、信頼すべき、感謝すべき存在になっているだろうか。「自国・ファースト」の思想は、ほとんどの場合、排除思想に通じる。  (国民健康保険が、外国人のために緊急事態に陥っているということを聞く。一方でずさんであり、一方でなすべきことを放置するというアンバランスは、縦割り行政の結果であろうが、国としての基本方針、施策を整えるべきであろう。)

  超大型台風である19号は甚大な被害をもたらした。またぞろ古手の国会議員が失言をして政治家の品位のなさを露呈したが、この台風に伴う避難所について、ホームレスは住所がないとして入所拒否をされたそうである。いやしくも同胞が命の危険にさらされているのに保護を拒否するとは、何事か、そのうちに税金を納めていない低所得者は国民、住民としては認めないという狭量な社会にもなりかねない。  ロヒンギャの悲惨な状況に触れて、ミャンマーの冷たさが国際的に非難されているが、わが国の国家として、自治体として行っていることにもこの問題に通じるところがある。

  異質のものを拒絶する、嫌うのは人間の本能であろうか。であるなら救いようもない存在であるが、災害後のボランティア活動に参加する多くの人々の原動力はなんであろうか。労り、共感、慈愛も人間の本能であるに違いない。そうであって欲しい。


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