文科省の全国学力調査の結果が、昨年のように政令指定都市の中で最下位なら、自身の夏のボーナスを返上(あるいは寄付)すると言っていた大阪市長が、状況の改善が見られず、約束通り、返上ということになるらしい。
大阪は、かつて、学力検査の結果が振るわない学校の校長の査定を厳しくするというので、話題になった所である。静岡県知事もにた似たような発言をしたことがある。
どうも、教育というもののい無知で、学力をセールスの勧誘の成果か何かのように勘違いしているようだ。
学力というものは、管理職の校長一人が奮闘したところで向上するものではない。また、低学力は、教員個人個人の責任とは言いがたいことが多い。教員のがんばりだけでは克服できない多様な要因を抱え込んでいるのである。昨今の学校運営は、管理職に権限を集中しようとしているが、その結果として、時に、校長は、こういう理不尽な期待をされることがある。
かつて、成績の悪い学校の教育予算を削減するという意向を表明したのも大阪ではなかったのか。むしろ逆である。低学力の児童の多い学校への手当は、従来以上に厚くしなくてはならない。そして速効を期待せず、じっくりと構えなくてはならない。銀行の預金獲得とは本質的に異なるのである。安易に民間から管理職を招聘して教育の効率化をはかるような試みは、教育の場にそぐわない。例外的な事例があるかもしれないが、ほぼ失敗に終わるのは目に見えている。
教育は、教育の専門家に任せよう。チェックは必要であっても、基本的には専門家に任せよう。学校のクラブ活動としてのスポーツの指導者(監督や部長。大学も含む。)が教育の専門家でない場合にパワハラが起こりやすい。これも根本的なところで認識に誤りがあるためとしかいいようがない。
教育を財政面で支える役割を持つ者は、教育の専門家と同じ地平には立ち得ないが、せめて親の立場には立っていたい。例えば、子どもに1,000円使ったら、その分の効果が必ずあると信じている親は稀であろう。子どもの教育にかけるお金は「返礼品なしの寄付金」のようなものである。