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折角柴又に訪れたのだから、帝釈天にお参りしなければ。
というわけで、再び駅前に戻り、参道に入る。
参道入口にある「帝釈橋」、これは復元したものである。
この辺りにはかつて柴又用水が流れていて、参道にはそれを渡るための橋が架けられていたのだ。
柴又用水は天保6年に開削された農業用水(この一帯は農村だった)で、平成2年まで残っていた。
帝釈天参道のアーチが見える。
その脇にある「柴又ハイカラ横丁」が気になる。
二階には「おもちゃ博物館」というのが併設されている。
どうやら、今流行りの昭和レトロを演出させたやつらしい。
こういうのって結構賛否が分かれるんだよね......
否定する側からすれば、「昭和を知らない者による作り物のレトロだ」ということなのだろう。
特に昭和を知っている世代にそういった意見が多いし、確かに一理ある。
しかし、今年は平成が終わり新しい年号に入る。
そうなると、「"昭和"はますます遠くなりにけり」となっていく。
終戦の年に生まれた人は70代に入り、我々のような昭和生まれもこれから減っていく。
昭和にはこういうのがあったのだという記録やモノなどを残し、将来に語り継ぐというのもまた大切なのだ。
一階は駄菓子屋さんだが、これまた昭和レトロを演出させた内装と陳列。
でも、駄菓子屋さんってこういう感じだった気がする。
しかし、用事あるのはここでなくて二階の方。
入館料(200円)を払って入ることにする。
いきなり豆タイル貼りの入場カウンターが登場する。
これって映画館の入口のつもりかな?
しかし、その脇にあるショーケースに注目。
おもちゃの数々が陳列されている。
いろんな人形が並べられている、というよりは置かれているといった方が正解か。
しかし、知らない人は観光地柴又に便乗して昭和レトロ......と思うかも知れないが、どうやら誤解のようだ。
実は、葛飾区というのはセルロイド玩具発祥の地だったのである。
セルロイドが初めて製品に利用されたのは19世紀半ばのアメリカで、映画のフィルムやメガネフレーム、ピンポン玉などあらゆる製品に利用されてきた。
アニメ用の作画が「セル画」と呼ばれているのは、かつてアニメ用の作画用シートがセルロイド製だった当時からの名残りだ。
熱で軟らかくなるので加工しやすかったので、20世紀半ばまでセルロイド製品が多く製造されてきたし、普通に出回っていた。
しかし、そのセルロイド製の人形が初めて製造されたのがここ日本、しかも葛飾区なのだ。
かつて葛飾区にはセルロイド人形の製造元が多く存在し、そこから海外に輸出されてきた。
その名残りなのか、現在も葛飾区には大小300もの玩具工場が稼働していて、かつてはタカラとトミー、現在は合併したタカラトミーといった大手の玩具メーカーも本社は葛飾区だったりする。
モンチッチの人形がどういうわけか多いのだが、気のせいではなく、そのキャラクター製造元であるセキグチも葛飾区なのだ。
このセキグチも元々はセルロイド人形の製造元だった。
セルロイドは加工しやすい材質だったが、同時にまた燃えやすく、摩擦熱によって発火してしまうという性質がある。
それ故に、セルロイド製品が発火して火事になるケースも少なくなかった。
それを問題視したのが皮肉にもセルロイド発祥の地のアメリカで、1950年代にセルロイド製品を排除しようしようという動きが広がり、ついには米国政府によって輸入禁止となる。
当然、それまでアメリカなどにセルロイド人形を輸出してきた日本の玩具工場にも影響を及ぼし、産業としては衰退してしまう。
現在、日本でセルロイド人形が作られているのは葛飾区で一か所のみだ。
そんな感じで、館内には所狭しとオモチャでいっぱいだ。
展示の仕方も昭和を意識したものになっている。
もっとも、ただ単に流行りの昭和レトロにのっかってるのではない、オモチャ産業に支えられた葛飾区だからこそ存在意義があるんだな、これは。
恐らく博物館を立ち上げた人のコンセプトはそこにあるのではないかと。
昭和の町の風景をイメージした館内には、オモチャがいっぱい。
傘つきの電灯なんかいい演出じゃんw
何となく下町のおもちゃ屋さんとか駄菓子屋さんをイメージした展示の仕方だ。
そうそう、子供の頃はこういうおもちゃで遊んだんだ......
そう思い出話をときめかせながら回るのも悪くない。
月刊雑誌なんかも展示してあった。
かつては本誌よりも付録が楽しみだった記憶がある。
お菓子のおまけにも似たような感覚があった。
友達んちに行くとこういうのを見せられ、自分も欲しくなって親にねだったりしたことあった......そういう人も少なくないんではないか。
勿論、親の却下に遭うわけだがw
これあったの知らんかったわ。
パチンコ教室って(笑)
これで嵌って、大人になってもパチンコに嵌ってって人いるのかな
「黒人差別」と人権団体が騒ぎそうな、オリエンタルカレーのマスコット。
冗談でなく、当時は黒人の描写なんか結構叩かれたのも多かった。
あの手塚治虫の『ジャングル大帝』でさえそうだったし、童話『ちびくろサンボ』などは作品ごと抹殺されたし。
人権屋はまた子供の敵でもあったのだ、過去も、そして今も......
口では「子供を守る」などと言っておきながら、その実は子供の夢を壊すのを厭わない、しいては己のエゴや勝手で子供を守るどころか逆に危険にさらす、それが大人というものなのだ。
千葉の少女虐待死然り、南青山の児童相談所設置反対運動然り......
これらすべて、根は同じなのだよね......
......って話が盛大に脱線してしまった(笑)
話を「おもちゃ博物館」に戻す。
ちゃぶ台にブラウン管テレビのお茶の間、ってのも今はなくなった。
野球盤は子供の頃よく遊んだものだ。
当時は消える魔球なんてのもあったが、あれは某スポコンやきう漫画の影響だったな。
ボードゲームに昆虫採集セット、などなど懐かしいもの多いんではないかな。
おもちゃに混じってコカ・コーラとスプライトの小瓶、粉末ジュースの素など、子供の頃はよく見かけたものまで。
おもちゃ博物館、というよりは広い意味で「昭和」の博物館だ。
ゲームウォッチも流行った。
学校に持ち込んで先生に見つかり、怒られたうえに没収された記憶ある人いたんでないか。
しかし、やがてファミコンにとって替わられていくんだよね。
その頃から次第に外で遊ぶ習慣もなくなり、家で友達と遊ぶインドア志向が強くなった気がする。
とまあ、今回は「おもちゃ博物館」の話で終わっちまったw
しかし,ここは行って損はない。
昭和レトロ好きは勿論だが、葛飾区がオモチャ産業のメッカだったことを知るうえではぜひ訪れたい。
というわけで、次回こそ門前町の町並みに続きます。
(訪問 2019年2月)