【奈良県】陣屋町を歩く・御所市「御所まち」201907 | 日本あちこちめぐり”ささっぷる”

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休日に街をあてもなく歩き回って撮った下手糞な写真をだらだらと載せながら綴る、お散歩ブログ。
東京や近郊メインも、ごくまれに遠方にも出かけています。
観光案内には全くなっておりませんのであしからず。

【奈良県】御所市

重伝建並みの町並み/市松模様にうっとり/正岡子規ゆかりの柿

 

大和郡山を後にして最後に訪れたのが奈良県御所市

「ごしょ」ではありませんよ、「ごせ」と読みます、読めましたか?

 

 

 

奈良県の中西部に位置する御所。

江戸時代初めに関ケ原の合戦で戦功を収めた桑山氏が入ったが、改易後は天領となって代官所が置かれます。

その陣屋町が葛城川の西側にあったのだが、一方で反対側の東側も一向宗円照寺の寺内町として街が発達。

 

 

 

それぞれ「西御所」「東御所」と呼ばれて街の成り立ちこそ異なるが、それらをまとめて「御所まち」と呼ばれる古い街並みが今も残しています。

今回は立ち寄らなかったが近くの「今井町」や「五條」といった国指定の重伝建と比べても遜色ない古い街並みを散策しました。

最寄駅は御所駅、JR和歌山線と近鉄御所線が入っていますが、交通の便としては間違いなく後者。

1時間に4本も電車が入るうえに、大阪天王寺から1時間弱とアクセスはさほど悪くないので、大阪のベッドタウンにもなっています。

 

*  *  *

 

 

 

近鉄御所駅から目的の「御所まち」へは、まず「新地商店街」と呼ばれるアーケード街を通る。

「新地」という名前からして、かつて花街とかがあったのだろうか?

時間があったらじっくりと回りたかったところなのだが......

 

 

 

新地商店街に入ったものの、買い物客がほとんど見かけない。

潰れてしまった昭和なパチンコ屋さんも残っている。

 

 

 

アーケードが切れた辺りから古い町家が見られるようになる。

 

 

 
御所町の入口にあたる高札場があった場所。
道がクランクしてあるのは、外から集落内の様子が分からないようにわざとこういう形にしているから。
遠見遮断と呼ばれていて、かつては3カ所に見られたという。
高札場は復元されたものだが、江戸時代、どの町や村にも必ず1カ所置かれていた。

 

 

 

 

町家の前に置かれている巨大な石は、風水で邪気を受け止めるといわれているらしい。

 

 

 

西町の街並み。

かつて「モリソン万年筆」を製造していた蔵がカフェとして利用されている。

「モリソン万年筆」は大正7年に創業し、関西を中心に愛されてきたが、昭和45年に製造を中止している。

 

 

 
街並みの裏手に流れる細い水路。
これはかつて周囲に張り巡らされた環濠が残っているものだ。
御所まちはまた、環濠集落でもある。
戦乱の世に集落を防御するために各地につくられていたが、奈良県にはその名残りが多い。
 

 

 

 

西久保の街並み。

この町家には古い瓦がたくさん使われている。

御所まちの町家で使われている瓦は、ここから東南2㎞にある「柏原」で製造されてきた。

 

 

 

西久保の街並み。

 

 

 

東御所のメインストリートだった本町の街並み。

 

 

 

本町の造り酒屋「油長酒造」。

玉楠が下がる伝統的な店蔵。

 

 

 

その向かいが近代的な醸造タンク。

享保4年創業という伝統的な酒蔵も、近代的な技術を取り入れながら酒造りを続けている。

 

 

 
本町通りの街並み。
平入りがほどんどの御所まちでは、唯一の妻入り町家。
 
 
 
並びに建つ洋風の店構えは旧御所郵便局。
 
 
 
古い街並みに調和するかのようなレトロな床屋さん。

スクラッチタイル貼りに恐らくパタパタ窓という外観がレトロだ。

 

 

 
白漆喰の壁が多い町にあって、中町通りにある「中井邸」は珍しい黒漆喰。
実は御所まち内で唯一の国登録有形文化財である。
 
 
 
あれだけ古い街並みを残している御所まちだが、実は文化庁から重要伝統的建造物群保存地区の指定は受けていない(奈良県からの指定は受けているらしい)。
国指定の重伝建地区の場合、保存を重視するために街並みを整備して、小奇麗にまとめられるケースが多いが、ここはそんな感じがしない。
 
 
 
 
魚の棚通り。
格子に漆喰で塗り固められた虫籠窓、それに鏝絵が描かれた卯建、という伝統的な商家が並ぶ。
 

 

 
魚の棚通りを出ると、煙草屋さんのカウンター。
古い街並みにはこういうのをよく見かける。
 
 
 
白黒市松模様のタイル貼り、「TABACCO」の字体がシビれる。
それにしても商売はお休みなのだろうか?
 
 
 
並びの商家には琺瑯看板と自転車のコラボ。
 
 
 
この並びを後ろに引いて望むと、十字に直行しているのでなく、わざとずらしているのがわかる。
前述の遠見遮断と同じ理屈で、向こうの様子が分からないようにしているのだ。
 
 
 
やたらと勾配がきつい感じの屋根、この地では「大和棟」と呼ばれている。
 
 
 
裏手に回ると、恵比須さんが屋根に据えられている。
商売の神様なので、招福の願掛けのつもりだろう。
その後ろの木は御所柿だという。
正岡子規が詠んだ
柿食えば鐘が鳴るなり法隆寺
の句に登場する柿、実はその御所柿の事を指している。
 
 

 

葛城川で東御所と西御所に分れるが、東御所にも古い街並みが見られる。

 

 

 

ここからが東御所。

町家の軒下に神様が2体。

 

 

 

 
長い平入の商家はかつて大和絣(かすり)の問屋さんそうだ。
御所は大和絣(かすり)の産地で、浅田松堂という人によって考案された。
 
 
 
愛宕さんと天照さんが仲良く祀られている祠も見られる。
 
 
 
そのお向かいには鍾馗さんも。
関西ではよく見かける、厄除けの神様だ。
 
 
 
東御所の最も東の通りへ。
黒壁に三段の卯建が重厚っぷりを出している。
 
 
 
 
 

 

 
黒壁、大きな虫籠窓、格子の商家に白壁の土蔵という組み合わせ。
 
 
 
こちらは白壁の土蔵が2連。
 
 
 
東御所を一周したところへ、円照寺の裏手へ。
開山は天文15年、ちょうど一向一揆の勢力が強かった時代で、それを象徴してるかのように環濠が残っている。
 
 
 
街を後にするために駅に戻る途中、祭礼の準備をしている光景に出くわす。
御所まちでこの時期行われるすすき提灯で、ちょうどその日の夜が祭礼だという。
リアルで見られないのは残念だが、新幹線の時間もあるので、やむなく駅へ。
 
観光地化されていないせいか、静かで落ち着いた街並みなので、ぶらりと歩くには持ってこい。
個人的には一押しである、そんな御所まちでした。
 

 

(訪問 2019年7月)