建物に入ると、外観からは想像できない空間に思わず感嘆
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前回に続いて、白金・白金台。
北里通り商店街の看板建築群を見た後、再び白金台の坂上に戻りますが、前回通った蜀江坂ではなく今回はこの三光坂を上ります。
途中、三体の仏像が並ぶ場所に差し掛かります。
ここは浄土宗専心寺、三光坂の由来にもなった寺院だそうです。
この寺に立っている松が「三葉松」と呼ばれたことにちなんで、元々は「三葉坂」という名前だったそうで(諸説あり)。
坂の途中で古色蒼然とした塀に出くわします。
見た感じ、広大な敷地のお屋敷だと思われます。
わき道に入ると、塀がずっと続いていきます。
ちょうど通用門に差し掛かりました。
門は閉ざされていて、塀にちょこっと古いお屋敷が見えている感じです。
実はここ、服部金太郎の旧邸なんです。
服部金太郎って誰やねんと思った方は各自ググってくださいね。
あの時計メーカー、SEIKOの創始者といえば分かるかと。
近くの電柱には「服部支」と書かれたプレート。
服部金太郎邸があったことを示してくれる手掛かりです、まあ今も建物は現存してるんですけどね。
再び三光坂に戻り、旧服部邸の塀をたどって進みます。
ここが正門、石の門柱とスクラッチタイルの門塀という構え。
しかし、門が閉ざされているうえ、生い茂った木々で遮られていて、中の様子が分かりません。
こちらがGoogleEarthで上空から撮ったものですが、服部邸の広大さに圧倒されます。
敷地内の中央には大きい洋館らしきものが見えます。
この建物の設計が高橋貞太郎、駒場の前田公爵邸や日本橋高島屋を手掛けた建築家です。
服部邸の前にはあの宗教団体の施設が。
そういえばこの辺りって、「幸福の科学」の本拠地でしたっけ。
その先には聖心女子学院に通じる通り。
大手時計メーカーの創始者の邸宅に皇室ゆかりの女子高、それに混じって新興宗教団体の施設と、この三光坂はバラエティに富んでいます。
三光坂から目黒通りに抜けるわき道へ。
この辺りも古い家屋が所々残っています。
木の塀に木の家屋......
昭和初期の趣がそのまま残っています。
かつてはこうした家屋がびっしり並んでいたんでしょうか。
目黒通り、日吉坂に出て、ようやくお目当ての建物が見えてきました。
あの外観、どっかで似たようなのも見たような気がしますね。
はい、東大でお馴染み、内田ゴシックのタテモノ、旧国立公衆衛生院です。
昭和15年竣工、設計はもちろん内田祥三。
それにしても荘厳ながらどれも似通った外観、本当にワンパターンなタテモノが多いですね、内田の作品は
現在は「ゆかしの杜」という港区の複合施設として使われています。
玄関ポーチの何連も連なるアーチ形も内田ゴシックの特徴、柱頭も東大でよく見るコリント式。
中には港区立郷土歴史館も入っていて、誰でも入ることができるのがありがたい。
冒頭写真のも載せたエンタレンスは2階吹き抜けで、そのデザインに魂消ます。
床、壁に石材が使われていて、とても学術的な空間とは思えない。
2階から吹き抜け部分を眺めると、こんな感じ。
いろいろ見所多いですが、エントランスと共に必見なのが4階の旧講堂、階段状の座席に教壇と大学の大講義室そのもの。
教壇横には左右に円形のレリーフで、新海竹蔵の作品。
左が母羊の乳を呑む子羊と岩に立つ父羊といったところか。
右は水辺の葦のふもとで戯れる2羽の鷺ともう一羽、翼を広げている鷺でしょうか。
左右異なる作品、どういう意味で作ったんでしょうか。
天井は銭湯などでもよく見かける格子天井、モダンさが極まっているところに和の要素も取り入れている感じでしょうか。
その2はここまで、次回はさらに中をさまよい、ウォーリズ建築が残る大学キャンパスへ向かいます。