【栃木県】青春18きっぷ日帰り旅(1)・日光市202007その3 | 日本あちこちめぐり”ささっぷる”

日本あちこちめぐり”ささっぷる”

休日に街をあてもなく歩き回って撮った下手糞な写真をだらだらと載せながら綴る、お散歩ブログ。
東京や近郊メインも、ごくまれに遠方にも出かけています。
観光案内には全くなっておりませんのであしからず。

ヘレンケラーやアインシュタインなど多くの著名外国人、皇室関係者が宿泊したホテル、一度は泊まりたいと思いますよね?

 

青春18きっぷ日帰り旅「日光編」、その1は東照宮をメインとした世界遺産、その2は田母沢御用邸を中心に取り上げたが、今回は最終回。

 

 

 

 

その1の冒頭でも書いたが、日光は東照宮や二荒山神社、輪王寺といった寺社の門前町tだったと同時に、五街道の一つ日光街道最後(21番目)の宿場町でもあった。

当時は「鉢石宿」と呼ばれ、現在の日光駅辺りに木戸が置かれ、東西5町余りにに本陣2軒、旅籠19軒、家数223軒、人口985人いたといいう(天保14年)。

明治期に入ると、外国人の訪問者が増え、東照宮など名所が豊富なのと同時に標高高い位置にあって山に囲まれた自然環境と夏は冷涼な気候という事と相まって、避暑地として整備される。

現在も「鉢石町」と呼ばれる地番が存在し、往時の雰囲気を感じさせる街並みを残している。

 

 

 

神橋の手前、東照宮を見つめる天海大僧正の像がある辺りから日光駅に向かって伸びているのが国道111号線、旧日光街道である。

休日という事もあって、車車の往来が多い。

因みに、この通りは通称「日本ロマンチック街道」とも呼ばれ、長野県小諸市からここ日光までの全長230㎞にも及ぶ観光道路でもある。

 

 

 

向こうに見える寺社風の建物、明治38(1905)年に建てられた日光物産商会。

土産物屋さんや飲食店が一堂に入る、日光観光の拠点でもある。

そして、国の登録有形文化財指定を受けている建物でもある。

 

 

 

元々は日光金谷ホテルが直営する土産物屋さんで、伝統工芸の日光彫や木工品、漆器などを扱っていたが、現在も日航ホテルのベーカリーがこの建物に入っている。

入母屋造りの街道に面した2階に高覧を廻らせている。

 

 

側面には寺社でよく見られる火灯窓、花頭窓が2つ並べられている。

勿論、ランドマーク的存在の東照宮を意識しているのは言うまでもない。

 

 

 

日光物産商会の脇にある坂を上ると、件の日光金谷ホテルが見える。

日本で最初のリゾートホテルで、明治6年創業。

原型は東照宮の楽師だった金谷善一郎の自宅を改装して外国人向け民宿として開業した「金谷カッテージイン」。

今回立ち寄れなかったが、当時の建物は田母沢御用邸近くに現存し、「金谷ホテル歴史館」として公開されている。

宿泊者にはイザベラ・バードやヘボンといった名前が見られる。

 

 

 

現在のホテル様式になったのは明治26(1893)年で、「金谷ホテル」という名で創業する。

門を入ると、格式高さを感じさせる本館と別館が並ぶが、実は奥にも新館、竜宮館というのがあって、すべて国登録有形文化財に指定されている。

 

 

 

本館は創業当時の建物をさらに増改築繰り返し、現在の形になったものだ。

特に昭和11(1936)年の大改築では地下を掘り下げて総3階建てに仕立てたという。

木造ながら柱や壁には大谷石が使われている。

 

 

 

うって変わって並びの別館は千鳥派風の屋根に唐派風の車寄せという、いかにも寺社風といった感じ。

こちらは昭和10(1935)年に竣工されている。

 

 

正面玄関の回転窓から入ると、2階吹き抜けのロビーが目の前に広がる。

格式高いクラシックホテルなのでお値段張るが、これは泊まりたくなる。

 

 

 

その代わり、売店にてしっかりとお土産を購入した。

丸い缶入りクッキー。

 

 

 

ホテルを後にして、駅に向かって街道沿いを歩く。

出桁造りの土産物屋さんが軒を連ねているが、実はすべて明治以降に建てられたもの。

他の宿場町にもみられる江戸期の商家はほとんど見られない。

 

 

 

独特な看板を掲げているひしや商店、羊羹を扱う店だ。

 

 

 

街道は東照宮に向かって上り坂になっている。

「鉢石宿」は最後の宿駅ではあるが、街道の終点はあくまでも家康の聖地である東照宮だ。

 

 

 

海鼠壁を持つ吉田屋も羊羹の店。

日光には羊羹屋さんが多い。

それには理由があって、東照宮の神官や輪王寺の僧侶が閑散期の冬に甘味として食べていたのが羊羹で、贅沢な高級菓子の土産物として重宝されるようになったそうだ(吉田屋のHP参照)。

 

 

 

街道を下っていくと、城郭のような建物が見える。

最近まで日光市役所として使われていたもので、大正8年に建てられた。

これも国登録湯系文化財だ。

 

 


石垣の上に白い壁、左右に破風屋根、天主閣みたいなのが中央部という構成だが、微妙にシンメトリーではない。

洋風建築に和風の屋根を載せた帝冠様式と言ってもいいだろう。

 

 

 

もっともこの建物、もともとは庁舎として建てられたわけでなく、「大名ホテル」というホテルとして使われるはずのものだった。

ところが、ホテルとして使われることなく、戦前は古川電工の社宅、戦後は進駐軍の社交場と経て、昭和29年から市役所として使われるようになる。

もともとホテルとして使うつもりだったことから、当時増加した外国人訪問客を相手にしようという意図でこうした外観にしたのだろう。

 

 

 

伝統的な門前町の古い街並みに洋風も取り入れ、国際観光地として整備された日光。

しかし、近年は車車や大型バスバス等で東照宮などといった目的地にショートカットされ、こうした街並みに触れることなく観光が終わってしまうことが多い。

門前町への潤いが減り、いささか町が寂れ気味に思えるのは気のせいだろうか。

 

そんなわけで、もし日光に訪れるなら電車電車で行くことをお勧めしたい。

今回はJRを利用したが、東京から東武特急でも直で行ける。

そして、東照宮だけでなく、こうした門前町にも触れてほしいと思う。

 

(訪問 2020007)