今回はリクエストにお応えする内容に戻ります。
いただいた元コメントを
ちょっと長めに引用させていただきますね
時たま、「人からもそう見られてたら嬉しいなー」
「あなたの想定は合ってます的な、
エビデンスがあったら揺るがないで更に安心できるのになぁ」
なんて思う時が正直あるのです・・!
(書いててお恥ずかしい・・・w!)
〜中略〜
もし確認癖を手放す秘訣や
スージーさん流の自分の想定を最上級に置くコツ
などがあれば、ぜひ教えて頂けたら嬉しいです。
(N様より:ありがとうございます!)
まず、自分の想定が正しいのか、
現象として顕れているのか、
現実の中に証拠探しをしてしまうのは
まったくもって恥ずかしいことではないですよ!
想定の法則の提唱者ネヴィル・ゴダード氏は
願望はすでに実現している
欲しいものはすでにある
とおっしゃっており、似たようなフレーズは
耳にタコ状態の方もいるかもしれませんが
この言葉だけを聞くと
は?どこに?
となるのが、まあ普通だと思いますw
へーそうなんだ
とイノセントにすぐに納得できる人は圧倒的に少ないでしょう。
物理現実の中にその証拠を求めてしまうのは
現実で起きていることしか感知できない
我々の理性(エゴ)の性質からして仕方がないのですね。
願望はすでに実現している
欲しいものはすでにある
の真理を、願望実現・スピリチュアル系の書籍やブログでは
実にさまざまな形で説明していると思います。
その形は筆者・解釈者それぞれであって
どれが唯一の真実ってことはないと思いますし
私のようないちブロガーが書いていることも
単なるone of themですw
ですのでご自身が最もしっくりきて納得できるものを
採用なさっていただければと思います。
とはいえ、ここは私めの実体験と己の解釈の結晶である
スージー流を文章化するブログです
ですので、まず、私めが採用している
願望はすでに実現している
欲しいものはすでにある
の真理の解釈から再度簡単に説明しますと:
私スージーの願望がすでに実現していたり
欲しいものがすでに存在していたりする場所は
バカげていますが「スージーランドw」としています。
これは私という人間の大きな意識体(エゴ以外の部分)と
直結している空間というか次元というか領域というかで
そこには(時間の概念はなく)
無条件に、何でも揃っています。
欲しいものは何でもありますし
無量大数のパターンの私が存在しています。
スージーランドwの考え方の初出はこちらの記事です。
無量大数のパターンの私が存在、というくだりは
パラレルワールド的解釈ともいえるでしょう。
詳細は過去記事願望実現・パラレルワールド的解釈
をお読みいただけますと幸いです。
いずれにしても、私の願望実現とは、
スージーランドwもしくは
無数にあるパラレルワールドから
望むものを選択すればいいわけです(=想定)。
それをふまえたうえで回答いたしますと:
(前置きが死ぬほど長くてすみません!!)
まず、確認癖を手放す秘訣について。
これは前々回の記事
にも書いたこととほぼ同じなのですが、ずばり
現実は現実
と受け入れること、でしょう。
えっ、こんな前置きを長々と書く必要あった!?
って感じですが
現実はあくまでも現実で、
過去の意識が反映されているものです。
今、この瞬間に意識内で想定していることと
現実で起きていること(過去の意識の反映)に
違う部分があるのは当然
ということが腑に落ちれば
想定通りになっているかどうか
(=現実に反映しているかどうか)
の証拠を探したり、確認したり
といったことは自然にしなくなるのではないかと思います。
そして証拠探しや確認をしなくなると
あるとき何らかの拍子にor出来事によって
想定に沿って現実が動いていることに気づきます。
次に、スージー流・自分の想定を最上級に置くコツについて。
先ほども書きましたように、
スージーランドwにはすべてが揃っている
ということを、私は本気で信じておりますのでww
つねに安心しているというか、焦りを感じません。
これはある意味、自己暗示といえるのかもしれませんが
とにかく自分の想定を最上級に置く、
つまり自分の想定が真実だと考えるコツとしては
私のように能天気に
(この「能天気に」がわりとポイントです)
「自分ランド」がどこかにある
ととらえるといいかもしれませんね。
さらに私は、
今ここにいる私自身の存在が、
すべてを「すでに実現させている私」であって
「すでに実現している」証拠
と考えています。
自分自身を証拠にしてしまう、
これももう一つのコツといえるでしょう。
あ、でも、
この境地になれなければ実現しない
ということでは断じてありません
あくまでもスージー流であって
こうじゃなきゃダメ、ではないのです。
ただ参考にしていただければ幸いです
余談:
私の解釈は形而上学的なアプローチといえるでしょう。
こういうジャンルはすべて形而上学的だといえば
そうなのですが、とはいえ
感情や感覚を最重要ツールにしたものとも異なります。
イメージングや感情の先取りといった
メジャーなメソッドや
宇宙、神、霊的なものと繋がるといった
スピリチュアルなアプローチで
願望を実現する方法のほうがしっくりくる人には
合わないかもしれませんので、
そこはあらためて申し上げておきます
いつもコメント、リブログありがとうございます。
この場でいうのもなんですが、心の底から感謝申し上げます
記事を気に入ってくださいましたら応援してくださると舞い上がります
おかげさまで大変ご好評いただいております
本当はご購入&お読みくださった方々一人一人に
お礼を申し上げたいのですがこの場で。
本当に本当にありがとうございます(×∞)
最近、新作もうっすらと考えておりますので
実行した暁には何とぞよろしくお願いいたします。