「あーん」
 親鳥から餌をもらうひな鳥のように、千佳は少し顎を上げて口を開けた。幼馴染みの口の奥で、ピンク色の舌が艶めかしく濡れ光っている。
「酔ってるな、千佳? 酔ってるんだよな?」
「だぁーいじょうぶだよぉ。コップ一杯のビールで酔うはずないしぃ……」
「分かった。とりあえず落ち着け。私はトイレに行ってくる」
 務めて冷静に言ってグラスを置くと、紅葉は千佳の返事も待たずにトイレに駆け込んだ。慌てて扉を閉めてカギをかけ、洗面台の鏡に映る自分と顔を合わせる。
「はーっ…… どーなってんだ、千佳のヤツ? マジに酔ってるのか?」
 実際に酔っているとしたら、それは雰囲気にであろうか。
 紅葉は、さっきまで身体を密着させるようにしていた幼馴染みの様子を思い返した。
「なんか……、なんだろ? すごく色っぽかったよな……」
 紅葉の記憶にある千佳は、可愛らしい服を好んで着る、同い年なのに妹みたいな少女である。
 さすがに大学生ともなれば少女という年齢ではないが、紅葉から見て小柄な幼馴染みは、今でも可憐な少女のイメージで固まっていた。
 より正確には、さっきまでは、である。
「おっきかったな……」
 両手をワキワキさせて、紅葉は自分のふくらみに手を当てた。
 ボーイッシュで背の高い紅葉は、その風貌に合わせたようにスレンダーな体型だ。可愛いよりカッコいいという形容がとてもよく似合うせいか、高校卒業までに貰ったラブレターの男女比は三対七である。もちろん、同性からもらったのが七割だ。もっとも、残りの三割も男子生徒とはいえほとんどが年下からであったから、紅葉が他の生徒からどういう風に見られていたのかは言うまでもないだろう。
「ふうっ……」
 千佳を放り出して、いつまでもトイレに籠っているわけにもいかない。
 紅葉は大きく息を吐きだすと、挟み込むように自分の両頬を叩いた。そして、何事もなかったかのように幼馴染みの待つリビングへと戻った。
「ごめんねー、千佳。お待た……せ……」
 だが、訳の分からないまま気合を入れた紅葉を待っていたのは、ソファに半身を横たえて眠る可愛らしい少女であった。
「は、ははっ……。あーあー、そういうことか。まったくドギマギさせてくれちゃって……」
 紅葉は、千佳が遠足の前の日には眠れなくなる娘だということをようやく思い出した。そうすると、さっきまでの千佳の妙なハシャギっぷりにも納得がいく。
 要するに、寝不足でテンションがハイになっていたのだろう。もしかしたら、今日のオフ会が楽しみ過ぎて、一睡もしていないのかもしれない。
「まったく……、この、お騒がせ娘め……」
 千佳の隣に腰かけた紅葉は、ゆっくりとした寝息を立てて眠る幼馴染みの頬に手を触れた。
 熱い。
 可愛らしい寝顔で夢の世界に旅立っている千佳の頬は、ほんのりと薄紅色に染まっていた。千佳はアルコールが顔に出やすいタイプである。
 ふとテーブルを見れば、紅葉がトイレに入る前には開いていなかったビール缶が、二つも空になっている。
 どうやら、美味しいと感じたビールを、一人手酌でグイグイ飲んでいたらしい。寝不足に加えてそんなハイペースで飲めば睡魔が襲ってくるのも当然である。
「……千佳」
 紅葉は千佳の耳に顔を寄せ、起きるか起きないか微妙な声で呼びかけた。
 だが、深い寝息を立てている幼馴染みは、目を覚ます気配はない。
 ふと、覆いかぶさるようにしていた紅葉の目が、千佳の胸元に吸い寄せられた。ワンピースの布越しにも分かる、豊満な肉の塊。無防備に横たわっているせいで、隙間から胸の谷間が見えてしまっている。
 紅葉は、思わず生唾をゴクリと飲み込んだ。そして、自分の心に生まれた欲求に素直に従ってしまいそうになる。
「んん……」
「ひ……ぐは……!」
 その欲求を押しとどめたのは、千佳の身じろぎであった。さすがに態勢が苦しいのか、千佳はソファの上で寝がえりを打つような動きをした。だが、少し動いただけで、それ以上は動かない。
 逃げる途中の苦しい態勢のまま、紅葉は大きく息を吐きだした。
「はーーっ……」
 ゆっくりと千佳から離れた紅葉は、ささやかな胸に手を当てて浴室へ向かう。
「あかん……。なんなんだ、今日の千佳は……? いや、……なんなんだは私の方か。まったく……」
 千佳の様子がおかしいのは確かだ。紅葉が今までに見たことのないような面を見せてくれる。
 そして、自分もおかしな気分になっている。千佳に対してこんな不思議な気分になったことはない。熱く、ザワザワして、心がユラユラと揺れている。身体に重なっている魂が、身体を残して揺れているような気分だ。
 紅葉は、眠っているだけの幼馴染みをまともに見ることさえ出来なくなりつつある。そのくせ、自分よりも発育の良い身体への興味は逆に増えている。触れたい。揉んでみたい。
「あかん……」
 脱衣所で全てを脱ぎ捨てた紅葉は、まるで消えない悶々とした気分を洗い流そうと、浴室へ足を踏み入れた。
 そして、最初に目についたものに、思わず目を奪われてしまう。
「こ、これは……、噂に聞いたスケベイス!」
 大きさは、銭湯にもあるような普通の浴室用の椅子である。だが、真ん中が大きくへこんでおり、ちょうど人の腕が一本入るくらいの谷間がある。この椅子に座る者は、座っているにもかかわらず、秘部が無防備になるのだ。
「ああ、やっぱりラブホテルなんだな……」
 壁に造り付けられたラックに目を向けると、シャンプーやボディソープとともに、小さな袋に一回分の分量が小分けされたローションがあるし、わきの壁にはマットが立てかけられている。
「ってことは、ベッドとリビングがワンルームみたいになっているのって、やっぱりそういう理由か」
 ベッドでコトを始めれば、ソファに座っている者からは丸見えである。
「……まあ、二人じゃ関係ないか。とりあえず湯舟を張ろ……」
 蛇口をひねり、浴槽にお湯を満たし始めたその瞬間、浴室の扉が勢いよく開いた。
「紅葉ちゃん、ずーるーいーっ!」
「ちちち千佳っ?!」
 お風呂に気が向いていた紅葉は、完全に不意を突かれてしまった。
 浴室の入り口を振り返ると、ソファでぐっすりと寝ていたはずの千佳が、一糸まとわぬ姿で浴室に飛び込んできた。