歪んだ心理空間における精神的被害

モラハラ、DV、ストーカー、セクハラ、性犯罪等における加害者心理と被害者心理

罵りながら当然のようにパートナーをこき使うのは、なぜ?

自己愛性人格障害者は、自分にとって価値のある事しかしようとしません。自分の功績につながらないような雑用はやりたがりませんそれは他の誰かに押し付けます。家庭の中であれば、パートナーに押し付けます。

 

自分がやりたくない仕事を人に押し付けたあげくそうした仕事は「価値のある仕事」ではないからそれをする人のことを「下らない事しかできない、能のないヤツ」とみなしています。

 

「価値のある事はできないから、そんな仕事でもやらせておけばいい。でなければ、何もすることがなくて、さぞかし居心地が悪いだろう」とでも思っています。

 

だから、自分がしたくない事をすべて相手に押し付けても、決して感謝はしません。大変だろうとも思っていません。自己愛性人格障害者にしてみたら、相手は「誰でもできる簡単な事をしているだけ」ですから、やって当然だと思っています。

 

しかし、自分がそうした仕事をする破目になったら、ストレスで大変になって癇癪を起します。

 

だから、パートナーがやろうとしなかったり、文句を言ったりすれば、自分に嫌な仕事がまわってくるかもしれないというストレスから、激昂して大変な騒ぎになります。最低の事もできない、どうしようもないヤツ」と考えるでしょう。

 

たとえ相手がやっても、それが自分の気に入るような具合でなかったら、「そんな事もできないヤツ」という話になりますそれで自己愛性人格障害者は、いつも怒って悪しざまに貶しながら、相手を利用し、働かせます。

 

結局、自分がやりたくない事や苦手な事はやろうとしないので、少なくともそうした事に関する本人の能力は低いままになります。だから、ますますやりたくなくて、人にやらせる、それが思いどおりでないと罵ったり激昂したりする、という悪循環なんですよね。

 

特に、自己愛性人格障害者に何か引け目がある場合それを隠蔽するために、パートナーを攻撃し続けたりします。自分の問題に、皆の目(自分自身の目を含めて)が向かないようにするためです

 

たとえば、パートナーより社会的地位が低かったり、経済力がなかったりする自己愛性人格障害者は、パートナーがあれこれやるのは当然だと、パートナーに思い込ませようとしてくるでしょう。自分が惨めな境遇にあるという事実や、パートナーのおかげで生活できているという事実などを、パートナーから突き付けられるのを避けるために(そんなことになったら、悔しくて発狂してしまいますから)、変な攻撃をしてくることもあるだろうと思います。