農家のせがれの葛藤
昨年の11月。
ある出来事がきっかけとなり、僕は、将来のことについて深く考えるようになった。祖父、父が残してくれた農業を本当に継ぐ必要があるのだろうか、いっそのこと何もかも全部売り、農業を辞め、勤め人で生きた方が良いのではないか。しかし、これだけの畑を揃えてくれた祖父、祖母、そして、父に申し訳ない。
どうしようか。
僕はそんなことばかりを考えていた。
考えすぎていた。
農家のせがれといわれる人達は遅かれ早かれ、この葛藤を経験しているだろう。僕は、この葛藤をひたすら考えていた。
結果、僕は、答えが出るはずもなく、流れに身を任せるように農業を引き継ぐ選択をした。
加工品開発へ舵をとる僕
この“流れに身を任せる”がクセモノで、これには親が敷いたレールの上を歩かされるという意味も含まれているのだ。親への反発なのだろうか、僕は敷かれたレールには乗りたくなかった。
ではどうしたか?農業の中で新たな分野、領域を模索し始めた。
それが以前から興味を持っていた加工品開発だった。
この一連の行動や気持ちの変化は、“農業の可能性”を“自分自身で確認”するためでもあった。
ここでいう“確認”とは“行動すること”、つまり、自分でまず加工品を作ってみる。販売してみる。一つ一つ「○○してみる」を積み重ねることになる。
そしてそれは、自分の前に立ちはだかる壁をいかに超えるかということ。
祖父、祖母、父がやったことがない加工品開発。
僕は、それをやろうと思った。
結果、ホウレン草ソース「や〜い!はよ食べんね!」を開発した。
分からないなら聞くという単純な作業でも胃が痛い
しかし、最初は何も分からない。
加工品をどこで作ればよいか?できた加工品がそもそも販売できるのかどうか。
分からなかった。
分からないときはグーグルで調べ、即電話の日々が続いた。保健所や加工施設に何回も足を運んだ。
次に商品ができたと同時に、どこで売るかという問題が出てきた。
これも分からない。
片っ端から電話をしまくった結果、久留米、吉野ヶ里の朝市、福岡市内のアンテナショップで試食販売ができた。(売れるか売れないかは別問題でとりあえずやった感が強い。)
他にも電話をかけまくり、こんな経験をした。
相手の開口一番は「ありがとうございます!○○でございます。」だったが。こちらの用件を伝えると二言目には怪訝そうな不安な声が聞こえてきた。怪しまれたようだ笑。
そして、ここにきて僕は気持ちの踊り場を迎えている。ふわふわした状態だ。疲れがたまったのかもしれない。
踊り場にいる僕とそこに安住しようとする僕との心の葛藤
この踊り場から抜け出すにはどうするか。不安とワクワクが交錯する自分がいる。
この気持ちの踊り場を抜け出した先に何が待っているのか。
興味は絶えない。
死ぬこと以外かすり傷
昨日書店で 箕輪厚介 氏の「死ぬこと以外かすり傷」という本を買った。
その冒頭、こんな文章に出会った。
「早くこっちにくるといい。こっち側で間違いない。」
心の涙が出た一言だった。