球界に別れを告げる、ベテラン選手たち。
永川投手が引退を表明した翌日(今月7日)、俊足好守の外野手としてカープを支えた赤松選手も現役引退を表明しました。
(永川投手引退についての記事はこちら)
落ち込んでいたカープファンを元気づけた活躍。
つい先日、37歳の誕生日を迎えたばかりの赤松選手がカープに加入したのは、2007年オフ、新井さんがFA権を行使して阪神へ入団したことがきっかけでした。
この結果、人的補償として赤松選手に白羽の矢が立ちます。
阪神時代の3年間では36試合に出場したのみでしたが、カープに加入した最初のシーズンではオープン戦から躍動。
開幕直後は故障により出遅れたものの、そこから復帰すると、あの鮮烈な印象を残した東京ドームでの対巨人3連戦へ。
まずは初戦、第1打席で先頭打者ホームランを放ち、これが嬉しいカープでの初&プロ初ホームラン。
続く第2戦、再び第1打席で先頭打者ホームランを放ち、プロ入り1&2号を連続先頭打者ホームランとするプロ野球史上初の記録を打ち立てます。
そして第3戦、もしかして今日も・・・と期待の高まる第1打席、ここはホームランとはならずもレフトへの二塁打を放ち、先制のホームを踏みます。さらに第3打席では3試合連続となる3ランホームラン!大歓声に沸く東京ドームのレフトスタンド。6-0とチームの勝利に貢献し、初のヒーローインタビューにも選ばれました。
この3連戦では打つだけでなく、守りでも素晴らしい活躍を見せた赤松選手。
(初戦でのジャンプキャッチ。)
この年は前年オフの新井さんFAの衝撃でひどく傷心していたカープファン。そんな我々を癒してくれたのは、代わりに加入した赤松選手のこの大活躍でした。
3戦目、試合終了後のヒーローインタビューで『広島も、まだまだこんなもんじゃないんでね』と言ってくれたこと、きっとたくさんのカープファンが覚えていることだと思います。
カープに来てまだ間もない選手が、これだけチームのために頑張っている。新井さんがいなくなっても、私たちは赤松選手を得ることが出来た。いつまでも新井さんどうこうではなく、彼を目いっぱい応援しなきゃ、と気持ちを新たにすることが出来たカープファンは本当に多かったんじゃないでしょうか。
生え抜きでは無い赤松選手が一躍チーム屈指の人気選手となったのは、ここが転機だったと思います。
この東京ドーム3連戦での大活躍と、その前向きで明るい振る舞いを目の当たりにしたカープファンは、あっという間に赤松選手の虜となりました。
そして赤松選手が加入したころから、ベンチの様子が際立って明るくなったこともまた、彼の加入によるところが大きかったはずです。
世界の『赤忍者』。
2010年には、あの『忍者キャッチ』。
赤松さん、本当にお疲れ様でした。
— baseballlll@カープ応援垢ドッカン! (@baseballlll4) September 7, 2019
何度でもリピートするよ#カープ#赤松真人#Ninja pic.twitter.com/uSqQAh9kVd
実は私、この忍者キャッチの試合を現地で観ておりまして、あまりの出来事に球場も一体何が起こったのか、としばし静寂の後に大歓声が上がったことを覚えています。
ホームランキャッチは数あれど、大抵がフェンス際で待ち構えてのジャンピングキャッチか、よじ登りキャッチ。これだけ猛スピードで駆け抜けつつ一気に捕球まで完了するプレーの難易度たるや、まさに忍者にしか出来ない芸当です。
解説の達川さんが『いや~珍プレー好プレーだったら好プレー賞間違いないでしょう!』と興奮しながらおっしゃっていましたが、それどころかアメリカのテレビの全国ネットで大きく報じられるという驚きの反響があったことも大きな話題になりましたね。
このシーズンでは初のタイトルとなるGG賞に選ばれますが、間違いなくこのプレーが決め手になったと言っていいでしょう。
こうして世界の赤忍者となった赤松選手でしたが、その後は主にスーパーサブとして代走・守備固め要員へと役割が変わっていきました。
不屈の赤忍者。
赤松選手のプロ野球生活、それどころか人生を大きく変える転機となった2016年。
この年、カープは25年ぶりのリーグ優勝を果たしました。
(私の持っていた赤松選手のカードは2016年のものでした)
そのオフに検査を受けた赤松選手に、胃がんであるという事実が知らされます。
このときの衝撃はとても大きなものだったことは想像に難くありません。誰だってがんに罹っていると通告を受ければ、人生の終わりが脳裏をよぎることでしょう。
抗がん剤による治療を受けた赤松選手ですが、その闘病生活は心身ともに大変な消耗を強いられたはずです。日常生活を普段通りに送れるようになるのにも大変な苦労を伴う中、赤松選手は再びグラウンドに立つために懸命に治療とリハビリに取り組みました。
そして復活を果たし、昨年からはウエスタンリーグでもプレーしました。
しかし一軍昇格は叶わず、引退を表明。
キャリア終盤での出来事を、『困難に見舞われながらも頑張った』というのは何だか失礼であるような感じがします。そもそもカープへの入団経緯だって充分に困難な出来事です。いつも前向きな赤松選手は、何が起こっても当然のようにまたグラウンドでプレーするために、日々のことに取り組んでいる。どんな困難なことであろうと、関係なくそれを乗り越える。
それがカープファンに愛され、大きな支持を集めてきた理由なんだろうと思います。
新井さんのFAという、本人と関係ないところに巻き込まれる形で突如カープへ加入することとなった赤松選手。
若手ながらプロテクトされなかったという事実にも心折れることなく前向きにカープでのプレーをチャンスと捉え、活躍したこと。
がん発覚という衝撃的な出来事にも、プロ野球選手としてのキャリアを終わらせることなく懸命に復活を期したこと。
常にポジティブであるその姿勢は、プロ野球選手としてだけでなく、いつしか人として尊敬すべき対象となっていました。
どんなときでも、どんな状況でも、颯爽と、溌溂と。
赤松選手には、そんな言葉がよく似合う気がします。
マツダスタジアムの芝生の上を、猛スピードで所狭しと駆け回るあの様子が見られなくなるのは、さみしいですね。
今だ魅せろ君の 果敢な姿を
赤い星を捉え そこで君が輝け
グラウンドに爽やかな風を、ありがとう、赤松真人!!
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