志村正彦さんといえば、2009年12月24日に29歳という若さで突然この世を去ったフジファブリックの元ボーカルですよね。
志村さんの死因は不明で、亡くなる2~3日前まで元気だったという証言もあることから、ネット上では様々な憶測が飛び交っています。
さて、そんな志村正彦さんについて調べていると、椎名林檎さんや嫁、そして奥田民生さんの名があちこちから出てきます。
一体生前の志村さんとどのような関係だったのでしょう。
そこで今回は、志村正彦さんと椎名林檎さん、そして奥田民生さんそれぞれの関係について調べていこうと思います。
それではどうぞ!
この記事は3分程度で読める内容です。
フジファブリック・志村の嫁は椎名林檎だった?
まず始めに、志村さんの嫁は椎名林檎さんだったのかについてですが、結論から申しますと二人は結婚していません。
一時期交際が噂されたこともあったようですが決定的な証拠もなかった為にうやむやになったようです。
ただ、志村さんと椎名林檎さん(東京事変)の交流は深く、フジファブリックのアルバム「FAB FOX」にはスペシャルサンクスとして椎名林檎さんの名前が載せられています。
また、志村さんが亡くなった年に開催されたCOUNTDOWN JAPANでは、椎名林檎さん率いる東京事変が葬式の時に使われる鯨幕(白黒の幕)のような衣装で登場したため、志村さんへの追悼の意が込められているのでは?といわれていました。
引用元:https://twitter.com/kaz7173/status/916566935797559297
この時椎名林檎さんは「ありあまる富」を歌ったのですが、この曲を歌うことがつらかったそうです。
志村くんが亡くなってすぐに出演したフェスで「ありあまる富」を歌わなければいけないことがすごくつらかった。だって、要するにこの曲は「死んだらおしまいよ」って言っているようなものだから。
引用元:https://natalie.mu/music/pp/sheenaringo03/page/5
複雑な思いで歌われていたのですね。
こういった話を聞くと、いかに志村正彦さんと椎名林檎さんの絆が深かったのかが分かりますね。
ちなみに椎名林檎さんの結婚歴についてですが、2000年にギタリストの弥吉淳二さんと結婚され男児をもうけましたがその後離婚。
2013年には映像ディレクターの児玉裕一さんとの間に女児をもうけますが、婚姻届は提出しておらず現在も事実婚状態のようです。
フジファブリック・志村には嫁はいたの?
志村正彦さんと椎名林檎さんは結婚しているわけではなかったことが分かりましたが、志村さんは他の方と結婚されていたのでしょうか。
フジファブリックの志村さんは結婚していますかね?
結婚していないと思いますよ。
引用元:https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1112205361
調べてみてもそういった情報は出てこず、ファンの間でも結婚していないはずといわれていることから、お嫁さんはいなかったようです。
ちなみに好きな女性のタイプは陽炎のPVにでてくる女の子のような人だったそうです。
生前ラジオで、陽炎のPVに出てくる女の子がタイプだと発言していました。
あと太った女性は嫌いだそうです^_^;
歌詞を見ればよくわかるんですが、恐らくかなりの面食いです。女性の内面の描写が全く出てきません。外見ばかりです^_^;引用元:https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q14180398279
たしかにPVに出てくる女の子細いです!
そして面食いだとは…(笑)
内面ももちろん大切ですが、それは話してみないと分からないことですしね。
「人は見た目が9割」なんていう本もあるくらいですし、見た目も大切です。(笑)
フジファブリック・志村と奥田民生の関係は?
志村正彦さんは奥田民生さんのライブを見たことがきっかけで音楽を始めています。
その影響の受けようは、当時進学校に通っていた志村さんが「奥田のせいで道を外れた」というほどだったようです。
そしてこのことは奥田民生さん自身も知っており、志村さんとライブで共演したり雑誌で対談したりしていたようです。
奥田民生も志村が自身に影響を受けたことを知っている。後輩としてかわいがっているようだった。
ライブで共演したこともある。雑誌で対談もしていた。フジファブリックの作品も聴いているようだったし、プライベートで会うこともあったようだ。
引用元:https://www.ongakunojouhou.com/entry/2017/12/24/110209
志村さんが亡くなった年のCOUNTDOWN JAPANには、先程話した椎名林檎さんの他に奥田民生さんも出演していました。
奥田さんはいつも通りのペースで自分の曲を演奏したりMCをしたりしていたようですが、最後の曲だけは自身の曲ではなくフジファブリックの「茜色の夕日」を演奏したそうです。
「茜色の夕日」は志村さんが上京して最初に作った曲で、ライブのアンコールでも披露するなど本人にとってもファンにとっても大切な1曲となっています。
そんな曲を奥田さんは自身の出演時にしかも最後の曲として演奏したのです。
泣きながら歌っていたそうです。
自分のファンだといってくれ、そして自分の影響を受けて音楽の世界へ入ってきた。
そんな可愛くて仕方のない後輩が自分より先に、しかも突然この世を去ってしまった。
容易には想像できない程の悲しみや苦しみ、そして悔しさがあったのではないかと思います。
だからこそ、自身の演奏の最後に大事な後輩の大事な曲を歌ったのかもしれません。