仙台から上京した仲間たちが消えていく。去年の夏は冷蔵庫が逝った。なぜか結婚も考えたが、私が仕事を優先したいのでペンディング状態である(?)。
今年の夏は洗濯機が動かなくなった。
近場のコインランドリーでしのぎつつ、今後どうするか思考した。表示されるエラーコードからモーターの回転制御機能=ハード面が壊れたとのことなので、修理費用が新古品購入と同程度の見込み。だったら新しい物を買いたい。
故障した原因はなんとなく分かっている。元々中古で買ったので耐用年数の限界を迎えたか、ポケットにティッシュやレシートを入れっぱなしにして洗ったこと(十数回)による物理的な故障のどちらかだろう。
ただし、目に見えない存在から送られてきたメッセージという可能性はないと信じている。スピリチュアル的なサムシングに、冷蔵庫に続いて洗濯機まで壊されたなんて認めたくない。仮にそうだとしたら、言いたいことがあるならもっとわかりやすく表現してくれ。破壊行為とかふざけんな。子どもかよ。そこはピースフルに行こうぜ。
冷蔵庫と違い、洗濯機は排水ホースの設置がマストになるので買い替えるのが面倒くさい。だがこのままでは不便極まりないので腹括って買うしかない。
最近は冷蔵庫や洗濯機をはじめとする家電製品を家に置かない生活を送る「ミニマリスト」と呼ばれる人たちがいるそうだが……個人的には自炊のために冷蔵庫はマストだし、自分が履いてたパンツを袋に入れて外出し、不特定多数が出入りするコインランドリーに持ち込むことに激しく抵抗があるためミニマリストをやる気は全くない(断捨離はするけど)。
とりあえず同機種のマイナーチェンジ版が中古で見つかったので購入。1週間後に配送&回収してもらい、やっと洗濯機を使える生活が復活した。これで仙台時代から使っている大型家具・家電はテーブルのみとなったが、テーブルは元々買い替えを検討していたので手放すのも時間の問題。1年半かけて自分の身の回りをリニューアルしているが、なんだかスッキリして自分が浄化されていく感覚がある。手放す物たちに物念でも宿っていたのだろうか。出費は痛いが、決して無駄にはならないと思う。