カルチャーセンター荒しだった母のこと1
カルチャーセンター荒しだった母 2
カルチャーセンター荒しだった母 3
母が色々通ったカルチャー教室の中で、特に才能を発揮したのは布の花でした。花びらや葉の形に布を切り抜き染めてコテを当てて形を整え、花を作りアレンジする・・・この過程をマスターした母は、大御所先生(当時誰でも知ってる有名な人でした)の布花の配色が気に入らなかったようです。
あるとき本屋で見つけた写真集の野草の布花に感動した母は、暫くその写真集をまねて創っていたようです。それでも母は、だんだん枯れない布花の美に限界を感じていきます。
その後、枯れゆく植物の美しさに惹かれ、身近な山にある草木を使ってドライフラワーのリースを創り出しました・・・今から40数年前のことです。
そこから10年ほどは、山に入って蔦や木の実をとり、リース作りを続けていたのですが、あるとき母のリースが高島屋のローズカレッジの関係者の目に留まり、教室を持つことになります。カルチャーセンター荒しだった母が、遂に先生になって教えることになったのです。
・・・さて、ここまで頂いたコメントのいくつかの中に、才能豊かな母をうらやんで下さる声がありました。たしかに、何を創っても完成度のあるものに仕上げ、美的感性もぬきんでていた母でした。
・・・・・でも実は、母には大きなコンプレックスがありました。それは学歴です。母は家の事情で中学までしか通わせてもらえなかったのです。
母のお話、あともう少し、続きます・・・・
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