最近、ちょっと悲しいというか傷ついたことがありました

今はLINEがあって、返信することに速度が必要だったり
既読無視という言葉があったりするけれど、
数年前はメッセンジャーやLINEよりメールが普通だったときがあります
その流れもあって、すぐに返信がないからといって気にはなりません
1週間ぐらいなら普通に待てます

むしろ、その日の内に返事したり、頻繁なやりとりが続くと
とたんに疲れてきます
なんなら長文のメールなら1ヶ月ぐらいでも良いかなと感じてるぐらいです

でも、この時は違いました
何となくハッキリしないやりとり、スルーされているような感覚
しまいには2週間ぐらい音沙汰がなくて、さすがに気になり連絡を取りました

すると相手の気持ちが分かりました
私の長年の違和感がそこで分かりました
ブログなので詳しいことが書けないのが残念ですが…
自分と向き合うことを恐れていると、他者と向き合うことも恐れてしまうと感じました

いつもその人とは、核心をつかない会話で、
重たいことや深い話になると、何となく誤魔化しているようで、
相手の気持ちも見えてこない、どんな人なのかも見えてこない
人当たりがよく優しくていい人、私は相手にそういう印象をずっと持っていました

友人だと、時には悩みを打ち明けたりするけれど、
それすらお互いにありませんでした
相手はしんどそうだけど、どうしんどいのか分かりませんでした
その当時の私は、今と違って自分と向き合うなんて出来ていなかったので、
こちらも相手の痛みに触れて、対応できないことも怖くて
結局、内容がよく分からないまま、会話は流れていきました
そういうことが何度もあって、いつの間にか疎遠に

そうして数年振りにたまたま会って、それからの今
相手と自分との温度差があった

私はあの頃の私とは違うんだなと思いました
相手と向き合うことが怖くなっている
でも、相手は怖いまま

私は毎日のように、自問自答して思考が休まらない
これって私だけなんだろうかと、孤立感もあったけれど、
今はこれでいいという気持ちになっています
むしろ、他のものになることはできない
私は他者とは違うんだと、やっと受け入れたからかもしれません

私の幸せと、他者の幸せは違う
求める経験や、欲しいもの、何に喜びを感じて、何に満足するか
それは皆違う

だから、自分が発する言葉は私のもので、
自分が傷ついたならば、それは相手ではなく
傷ついてしまった自分の問題だと受け入れられるようになりました

返信がないまま2週間が過ぎ、父の顔が浮かびます
10代の多感なとき、泣きながら父に電話したことがあります
父は忙しくらしく、明日連絡すると言って、
でも次の日に電話はありませんでした
それからも、私の涙に触れることはなく
今に至ります

他にも、色々あります
父も母も、子供と向き合う人ではありませんでした
私は子供の頃から、親に心も開かず、誰にも心を開かず
ある時から感情を捨てて、いつも心は暗く曇っていて

セラピーのお世話になるようになって
『私は捨てられる、誰にも愛されない、必要とされない』
と思い込んでいたのです
それがセラピーやカウンセリングを通じて、どんどん吹き出してきました

長く長くかかって、今があります
今もあのときの悲しみが残ってるんだな…と感じて
これはまた癒さなければいけないなと、セラピーを受けることにしました

たとえ辛い出来事だったとしても、記憶から捨てたり忘れたりすることは難しくて、
まずは受け止めてとことん悲しむことも必要です

辛いことがあったね、辛いよね悲しいよね
それでも自分を許します
どんな自分も許します

まずはそこからなのかもしれません

自己肯定感
自己愛
ずっと言われていることだけれど、とても奥が深い

どちらも自己満足とか、自己犠牲とか、
自己中心的とは程遠い世界です
とくに自己愛は自己中心的だと思われてしまうけれど、
そういう次元の話ではないです

自己愛や自己肯定感は、きっとそうなってみないと分からない世界だと思います

夫がまさにそういうタイプで、
全くもって違う世界を見ています
どうしてこんなにフットワークが軽いのか、
どうしてこんなに人を悪く思わないのか、

すぐに行動できて、誰に対しても平等で、
思考がスッキリとしていて、シンプルです
私とは真逆

だから、仕事を退職するときも、そのあとの行動力も、
引っ越しの時も、普通に対処していて
私は、いつもビクビクしていて神経質で、対処するのも大変です

私の全てを肯定してくれて、なんでも好きにさせてくれて、
労ってくれて、無理強いもしない
全く違うからこそ、救われることあるんだなぁと思う

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