三原舞依選手からの直筆メッセージが届きました。
https://www.instagram.com/p/B3vNKlZpCrZ/
読みながら涙が止まらなくなってしまいました。
天使のように澄みきった三原選手の演技に魅了された方も多いと思います。三原選手のがんばりを振り返ってみたいと思います。
2015-16(16歳)
JGPオーストリア杯で2位
初めてJGPファイナル出場後、若年性特発性関節炎を発症し2週間の入院、その後も薬を服用しながら病気と戦う日々。
2016-2017(17歳)
春から練習を再開。シニアデビューを果たします。フリーの「シンデレラ」では、輝くような演技に世界からの注目が集まっていました。
2017年四大陸選手権で優勝。
平昌オリンピック出場枠がかかる世界選手権2017では5位入賞を果たします✨
この時、宮原知子選手が左股関節疲労骨折で不在の中、女子をひっぱっていたのが三原選手でした。
世界国別対抗戦で楽しそうに過ごす姿
全日本選手権では表彰台を逃し、残念ながら平昌オリンピックへの出場はかないませんでした。しかし、四大陸選手権では銀メダルを獲得✨
2018-2019(19歳)
昨シーズンの2018−19はGPファイナルまであと一歩、全日本も4位。その悔しさをバネに四大陸選手権で銅メダル獲得。
その1ヶ月後に行われたユニバーシアードでは見事金メダルを獲得しました。
2019-2020(20歳)
夏頃より食欲不振による体調不良でショーやCSシリーズを欠場😢。少し痩せていた写真を見て心配していたところでしたが、近畿ブロックまでには体調を戻すという中野コーチの話(ソース)から待っているファンの方も多かったと思います。
若年性特発性関節炎について
https://medicalnote.jp/contents/160210-014-JN
関節の痛みや腫れを引き起こす病気。
こんな中で難しいジャンプやスピンを練習し、フィギュアスケートをあきらめることなく続けてきた三原選手。どうか、効果的な治療が見つかり、
体調が改善しますようにと心から願っています。
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ですが小学生の頃に、授業中に倒れ、国指定の難病だということがわかり入院。検査につぐ検査。服薬は一生続きます。
病院を退院してからも、学校では病気がちだと思われ、よく保健室でよく休んでいる子でした。
しかし元来負けず嫌いなのか、病気で挫けることはありませんでした。中学から吹奏楽部に入りパーカッションを担当すると、ドラムをダイナミックに叩きまくり、ピアノにハープ、木琴、鉄筋、なんでも弾くマルチぶり。高校は全国大会へ行く強豪校に進学し、土日休みもないハードな練習の日々。たびたび倒れることもありましたが、それでもずっとがんばっていました。
そして大学を決める際に
「子どものころにお世話になっていた保健室の先生になりたい」と看護学科へ。
そしてこの春、看護師の資格をとり、養護教諭の試験にも合格。
保健室の先生として勤務しています。
病気は一生つきあっていかなくてはいけないもの。だけれども、病気があったからこそ、たくさんの方々と出会い、自分の目標が見つかった。人が弱った時にら自分も支える側の人間になりたい。病気に負けたくない。そう思える強さと優しさを身につけたように思えるのです。
薬は効いたり効かなかったり、この先どうなっていくのか不安もたくさんあります。
健康でいることがどれだけ素晴らしいことなのかと、嘆きたくなることもあるとは思うのです。
ですが、辛さを知っている分だけ、人は強くなっていく。本当の優しさを知ることができる。
そしてますます、人間としての魅力を増していくのだと思うのです。
三原舞依選手の笑顔を見ると、そのことをつくづく感じます。
あんなに清らかで、澄んでいるのは、滑ることの嬉しさを楽しさを知っているから。この一瞬を大切にしたい。それが三原舞依選手の全身から溢れて輝いているように見えるのです。
苦しい日々があるかもしれません。
ですが、苦しみの先に、ぜったいに輝く日がある。そう信じ、三原舞依選手を心から応援したいです。
たくさんの方々が三原選手を応援しています✨
回復を心から願っています✨