形無いものを捨てるのは、物体を捨てるより難しいです。
形あるものはそれ自体の経済的価値が重要であることが多いので、価値を量りやすいのに対し、形無いものは、その価値を決めるのは人の気持ちです。
そしてミニマリストを続けていると、その感覚が麻痺してしまうのではないか、という恐怖が常にあるのです。
「何に価値があるか」は私と相手の両方の気持ちで決める
意味のない形骸的な習慣や、時代に合わないイベントをなくす、というのは、たしかに大事なことだと思います。
例えば私は友人全員に年賀状を送るのをやめました。
これは、個人情報の気になるこのご時世に全員の住所を聞いて送るのが現実的でないことや、世代的にメールが普通で失礼ではないことなど、様々な理由からです。
ただ、年賀状を大事にしている方にはちゃんと手書きで送りました。
これは、年賀状を好む方や、年賀状しかツールのない世代の方などには、その一枚のハガキが価値のあるものだからです。
つまり、社会生活を営む中では、「何に価値があり、何に価値がないか」は私と相手双方の気持ちになって考える必要があるのです。
マナーや作法もそうで、もし自分にとって意味がないと感じても、世の中の人が大切に守っていることを軽々しく否定してはいけない。
よく議論の中で「○○は無駄」「誰にも迷惑をかけていない」という意見を見かけますが、根本的に形のないものに対する他人の強い思いに鈍感な人なんだろうなあと思います。
夫婦間で大切なのは「形無いもの」に対する価値観
ミニマリストに限った話ではないですが、夫婦関係でこの「形無いもの」に対する価値観が違うと、かなり生活に支障をきたすんじゃないかなと思います。
幸い私と夫はここの感覚がかなり近いです。
節目節目の伝統行事や慣習はなるべく大事にしたいし、お金や手間をかけてもきちんとやりたい。
ただ、あまりガチガチにはしすぎない。このバランスがちょうどいいです。
結婚のときも、私たち夫婦とその両親全員が、結納や結婚式、婚約指輪はきっちりしたものをという考え方でした。
たぶんここで誰かがちらっとでも「無意味だ」とか「お金がもったいない」と思うようなタイプだったなら、その後も苦しんだんじゃないかなあと思います。
生活をする中で、一方だけが大事にしているものを一方がそう思っていないというのは、結構辛いです。
もちろん価値観の違いは当然ありますし、その都度尊重しあえればいいのですが、相手が意味のない(と自分が思っている)ものにお金や時間を投資しているのを見ると、やっぱり疑問に思うこともあるでしょうし、その頻度は少ないに越したことはないかなと思います。
そのうち子供が生まれたらお食い初めや七五三、誕生日パーティにいたるまで、揉めそうなイベントも盛りだくさんですしね。
形の無いものの扱いは慎重に
夫婦ならある程度お互い相手を選べますが、社会生活を営んでいれば、価値観が全く違う人と接することもままあります。
育ってきた環境が違うなら、その人の大切にしているものも違うはず。
他人の宝物を勝手にゴミ箱に捨てる人はほとんどいませんが、これが目に見えないとなると、簡単に貶めることができてしまうのが怖いところです。
私はモノに関してすぐ「無駄ではないか?」と考えてしまうくせがあるので、「形の無いもの」に関しては人一倍気を配らなければ、と自戒を込めてこの記事を書きました。