自分のことは特別だと思うのに、他人のことはまとめて一般化する
に出てきた言葉です。
最初はなんともおもわずスルーしそうになったんですが、
ぼくの中で革新的な言葉でした。
他人のことって絶対的に一般化するじゃないですか。
・これだからゆとり世代は・・
・◯◯大学の卒業生は・・
・◯◯県の出身は・・
・男は・・
・女は・・
パッと考えただけでもかなりあります。
でもこれらの文脈の後に続く言葉って、
発する人のイメージで持って勝手にまとめてるだけなんですよね。
「ゆとり世代は常識がない」
といったとする。ところがとても常識がある
ゆとり世代もごまんといます。
一方で常識がないゆとり世代以外の人もごまんといるわけです。
何か起きた時に人はなんの疑いもなく、
人を何かのグループに当てはめるのです。
また人が困っている時もそういうもんだよなんて
それらしいことを言いながら自分に同じような事象が起きた時は
それらしい理由をつけて自分のこれは
他の人に起きたそれらとは違うと言い張るのです。
常に自分と自分の身の回りに起こることは特殊であり、
他人に起こることは凡庸なのです。
私は偶然にも転職を結構しています。
そして全く違う業界を歩いてきたのですが、
必ずどこの業界の人も自分の業界のことをこう言います。
「うちの業界は特殊だから」
確かにそれぞれに特殊性はあります。
しかしそれは特殊性というよりかは、
どの業界にもある個性であって別にその業界が特殊なのではないんです。
そしてどの業界も特殊だとするとそれは
もう普通なのです。
そして自分の業界のことを
「この業界は極めて普通の業界」
なんていう人はいないことからもいかに自分と
その周りのことを特別と感じてしまうかがわかると思います。
他人に起きたことを特殊なものと考えて、
自分ごとのように向き合えるようになったら
幾らか違う自分が見えてくるのかな・・。