これ…

いつ撮ったのかな

 

 

 

 

 

 

 

 

 

フリー翌日の早朝…でしょうか



 


 


 

 

 

 

 

目は窪み

頰の辺りも少しやつれて見えて

胸が痛む…

 

 


でもそんな時でも凄絶に美しいと

思ってしまう

 




ごめんね…

 

 







『フィギュアスケートTV』より








今シーズンのフィギュアスケート総評と

来シーズンに向けての展望



彼の言葉が端的に

全てを表していました



さすがです






(フリーのリザルトを見て)



GOEの限界値の高さが目立つ

(ジャンプの種類によるGOEの差…例: 4Lz>4To)

ただし難度の高いジャンプは失敗すると

その分減点も大きいというリスクがある

→バランスをとることが必要




トランジッション

(ステップ・ターン・片足滑走時間)を

どのように来シーズンのプログラムの中

でうまく使っていくか…




自分はSP・FS通して

ジャンプを全て違う場所  違う軌道で跳ぶ

音を替えたり タイミングをずらしたり

そういう細かい作業をやっている


そこは僕のプライドであり僕のスタイル

そこにこだわらなくなってしまったら

僕の良さも無くなってきつつあると思うので


自分のこだわり・良さも入れつつ

その上でジャッジにも評価にも

対応していけるようなプログラムを作るというのが

今シーズン明白になった







ここでいう「僕の良さ」とは

「フィギュアスケートの醍醐味」に

そのまま置き換えることができると

思うのです…


 




一流の芸術品や工芸品は(音楽も)

ひと目でそれとはわからないような

細かな技巧や細工の膨大な積み重ねにより

作り上げられる




彼のスケートも同じように

ジャンプもスピンもステップもすべてが

演技を構成する一部となるよう

緻密に計算され 技巧を凝らされている



そうして完成した全体像を前にして観客は

その圧倒的な存在感 

完成された世界観に心奪われ歎声を漏らす



だから成功したジャンプだけが

つよく印象に残るわけではない







けれども観客はともかくジャッジが

その真価を見極めることができないとしたら?



わかりやすく目立つ技術のみしか

評価できないとしたら?






最近

その疑念が事実であったと思わせられるような

対談記事がありました



スポーツナビ







Jスポーツで放送された世界選手権

解説の岡崎真さんは

羽生選手のジャンプについて




助走を少ないところから跳んでいるジャンプがある
降りたあとの流れを作りにくいので
ボディコントロールが非常に難しいけれども
きちっとちゃんとランディングポジションを取って
さすがです


ただちょっと流れがないので
見た目の派手さはないけれども
その分難しい入り方・コントロールをして
降りた後もコントロールを失わないというのは
非常に難しいこと

そういった総合評価でどうしても
プラスのGOEがたくさんついてくるジャンプですね


とおっしゃっていました




このように
彼の高度な技術を理解し
高く評価してくださる方ばかりならよいのですが

助走が長く入り方も出方もシンプルな
「見た目の派手な」ジャンプが高く評価される
傾向があるとしたら…



評価されないものに対して
努力する価値を認めない

そういう考え方が出てくるのも
仕方のないことのように思えます





けれども
これまで誰よりもルールに誠実であろうとし
その中で技術を極め
同時にフィギュアスケートの芸術性も
追求してきた彼の努力は?



難しい入り方・出方で跳ぶことにこだわらなければ
もっとずっと楽に点数の高いジャンプを跳べた

しなくて済んだ怪我だってあるかもしれない



そう思うとやりきれないです