小獅子の尾

芸術大学の通信教育部に通う20代女子の雑記

重なる訃報と喪服

最近祖母が亡くなったばかりでしたが、元々癌を患っていた別の親戚も亡くなってしまいました。

夜伽があるという事で、亡くなっていない祖母を乗せてお通夜だけ参加したのですが、久々に喪服を着て、祖父が亡くなった時の事を思い出しました。
本当に記憶って不思議だと思うのですが、服を着ただけで昨日の事のように記憶が甦りました。

祖父の時は式の直前に喪服だけ何とか用意したのですが、今回は喪服があったのでバタバタせずに参列する事ができました。

やっぱり、気軽にいつでも買えるものではないので、事前に準備するべきなのでしょう。
祖父のお葬式の後で、いつか使う事もあるだろうと思って購入したフォーマルバッグも役に立ちました。
それはそれで微妙な気分でしたが・・・

昔は着物の喪服以外は失礼だったので、事前に用意しなければ買えなかった様です。
家紋があるので、親戚からしか借りれないのですが、その親戚も大抵同じお葬式に参加するので喪服の準備は大変だったそう。

今は簡単に洋装のブラックフォーマルを買うことができます。
家紋も無いので、結婚しても続けて着れます。
式の直前でもなんとか調達できるのは便利ですが、それが良いのか悪いのかは良く解りません。

お通夜が終わって、喪服を脱いだら少しは気分も明るくなり、なんだか日常が取り戻された様な気になりました。
服装だけで気分も変わります。

田舎の家で親類も多く、次は誰だろうかという話も出ます、年寄りのデスジョークです。
自分も年を取ったら、次は自分か知れんな、とか言う時が来るのでしょうか。
死ぬ頃の自分がどうなっているのか、なかなか想像もできません。
まぁ、明日死ぬかも知れませんけど。

亡くなった親戚は小さな会社を経営していて、跡継ぎは居なかったのですが、やはり息子さんが後を継いで経営するそうです。
世代も交代して行きます。

私の立場も徐々に変化して行きます。
コロナが終わったら、梅の名所まで桜の花を見に行く約束をしてたのですが、来年はみんなでお花見には行けない様です。