といふわけで

目立たぬように はしゃがぬように 似合わぬことは無理をせず

木村花さんのこと

 

本来、私のブログで扱うべき内容ではないのかもしれませんが、一人のプロレスファンとして書かせていただきたいと思います。

 

どこに向けたらいいのかわからない腹立たしさと悲しさとが入り混じっています。

 

誰が悪いのか?誰が責任を取るのか?

そういう話はやめときます。馬鹿な私が考えなくてもちゃんとそういう分野の賢い人がいいことを言ってくれるはずです。

 

今はただ、このなんとも言えない感じを整理するために筆を執らせていただきます。

 

プロレスとテラスハウス。私の好きな2つのコンテンツが、私が最も望んでいない形で世間に知れ渡ることとなりました。

 

人には『華』というものがあります。プロレスに限らず、歌手や役者、芸人やスポーツ選手にもこの『華』というものが大きく人気に影響します。

 

腕があるのに華のない人より、腕は未熟だけど華のある人のほうが大成すると私は思います。

 

彼女には生まれ持った華がありました。

技術もあり努力も怠りませんでした。

 

彼女はこの先、この業界、団体をひっぱていく存在になるのだろうと思っていました。

 

大輪の花を咲かせるはずだった蕾が枝ごと折られてしまうのはとても悲しいことです。

 

この事件に限らず、今回のコロナでわかったことは人間は少しも進化していないということです。

 

科学や技術は進歩しまいた。しかし、人間は生物として少しも高尚になっていないし賢くなろうともしていないのです。

 

中世ヨーロッパで行われた根拠のない魔女狩りをしていた頃と同じく、人間は集団になると残酷になり、根拠の無い噂で人を殺すようになるのです。

 

少なくとも、魔女と呼ばれた人は自分に向かって石を投げた人の顔を死ぬ寸前まで忘れはしなかったでしょう。現代では石を投げた人の顔さえ見ることができないのですから恐ろしい話です。

 

「誹謗中傷が嫌ならテレビに出るな」とか「嫌なメッセージが来るのならSNSをやめればいい」という意見も見ます。その意見はごもっともかもしれませんが、だからといって誹謗中傷をしていいという免罪符にはならないのです。

 

私自身、言葉で多くの方を傷つけて生きてきました。この事件で憤りを感じるなか、ひょっとしたら過去の私の言葉で傷つき、それが今もなお心を縛る鎖になっている人もいるのではと思うと背筋が凍りました。

 

誹謗中傷した人を叩くのは簡単です。しかしそれは自身をおなじように貶める行為になります。深淵を覗くとき深淵もまたこちらを覗いているのです。

 

人の振り見て我が振り直せ。こうやって言葉を扱わせてもらっている以上、最新の注意をはらい、人様に喜んでもらえるような言葉を使っていこうと心に誓いました。

 

一人のプロレスファンとして、木村花さんのご冥福を心からお祈りし、二度とこのような悲劇が起きないことを祈り、ここに筆を置く事とさせていただきます。