SSブログ

2020-03-30 [雑記]

『ブッダのことば』(スッタニパータ) から 慈悲のこころ

●第一 蛇の章 八、慈しみ
慈しみ〜崇高な境地

一四三 究極の理想に通じた人が、この平安の境地に達してなすべきことは、次のとおりである。能力あり、直(なお)く、正しく、ことばやさしく、柔和で、思い上がることのない者であらねばならぬ。

一四四 足ることを知り、わずかの食物で暮らし、雑務少なく、生活もまた簡素であり、諸々の感官が静まり、聡明で、高ぶることなく、諸々の(ひとの)家で貪(むさぼ)ることがない。

一四五 他の識者の非難を受けるような下劣な行いを、決してしてはならない。一切の生きとし生けるものは、幸福であれ、安穏(あんのん)であれ、安楽であれ。

一四六 いかなる生物生類(いきものしょうるい)であっても、怯えているものでも強剛なものでも、悉(ことごと)く、長いものでも、大きなものでも、中くらいのものでも、短いものでも、繊細なものでも、粗大なものでも、

一四七 目に見えるものでも、見えないものでも、遠くに住むものでも、近くに住むものでも、すでに生まれたものでも、これから生まれようと欲するものでも、一切の生きとし生けるものは、幸せであれ。

一四八 何びとも他人を欺いてはならない。たといどこにあっても他人を軽んじてはならない。悩まそうとして怒りの思いをいだいて他人に苦痛を与えることを望んではならない。

一四九 あたかも、母が己が独り子を命を賭けても護るように、そのように一切の生きとし生けるものどもに対しても、無量の(慈しみの)こころを起すべし。

一五〇 また全世界に対して無量の慈しみの意(こころ)を起すべし。上に、下に、また横に、障害なく恨みなく敵意なき(慈しみを行うべし)。

一五一 立ちつつも、歩みつつも、坐しつつも、臥しつつも、眠らないでいる限りは、この(慈しみの)心づかいをしっかりたもて。この世では、この状態を崇高な境地と呼ぶ。


nice!(0) 

nice! 0