2019年10月20日

無題

来てくれてありがとう。







数日前の「ただの自分」さんからの質問

>『時間』とは、『思考だけ』の問題ですか?

>自分は、『時間』とは『物質』の『変化』や『動き』の過程だろうと思ってますが・・・



ただの自分さんは禅サンガのwebトークでも、瞑想会のチャットでも、そしてこのブログにもよく質問をくれます。


すでに身内だと感じているので率直に言います。

ただの自分さんはとても勘がいいのですが、時折何かが違う。

それはマインドから理解している時に起きています。



>時間とは思考だけの問題ですか?


その通りです。

もっと正確に言えば、時間(過去・未来)は存在していません。

いまだけが在りますが、その「いま」は時間の一部ではありません。


過去は、あなたが過去について考えた時だけ存在します。

未来は、あなたが未来について考えた時だけ存在します。


これは数日前に書いた言葉ですが、そういうことです。



マインドは、

「この氷が溶けたのは時間が経ったからだ、したがって時間は存在する」

と考えます。


この考えに対して言葉で説明したとしても、マインドには理解することはできません。


マインド=思考=時間=分離した私

これはみんな同じものの別名であり、根源的な錯覚です。



このことは言葉ではなく、実際に体験するしかありません。

体験と言うよりは、「体験しているいま」です。


いま、いまの中に在るのか


それとも


マインド(時間・ストーリー)の中にいるのか


これだけが存在のチェックポイントです。


大切なのはマインドの中身の精査ではなく、まさにいまに在ることです。


無題


このブログではマインドの世界の生き方も解説しているので切り替えが難しいかもしれません。


でも時折立ち止まって、本当は何も起きていないことを感じてみましょう。



ほらね、いまだって、あるがままのいまがあるだけでしょ?


これ以外はマインドの中にしか存在していません。

そしてマインドの中身はすべて幻想です。



この洞察が、一切の苦しみからの救済となります。




いささか言葉を使い過ぎたようです。


これ以上書くのはやめますね。





よければクリックしてください












Posted by Toshiro Abe at 09:57│Comments(16)
この記事へのコメント
寝る時にみる夢も脳が見せる幻想の一つですが、時に味覚も痛みも伴うリアルさがあり、10年程の歳月の経過すら一晩の内に一瞬で現れる。
それがどんなにリアルでも存在しない。

しかし、夢を見ていた時は夢としてあった。
時間も時間をなぞった時は時間としてあった。

夢と思考の性質って似ていると思いました。
Posted by あめっこ at 2019年10月20日 10:23
毎日記事のアップをありがとうございます!

わたしはいつも過去の記憶を「いまここ」にありありと持ち込んでいじくり回し、ずっと苦しんでいましたが、少しずつ「いまここ」をくつろぐ、安心することができるようにました。

本当は過去も未来もないんですね。
それにしても、この幻想世界が巧妙に出来すぎ‥と思います(^o^;)
時間がないってついついどっか飛んじゃいます(笑)
Posted by ゆうゆう at 2019年10月20日 11:22
「何も起きていない」・・・は、全部の解答ですよね。一切が読み解ける場面がこのことがわかる(実感・実直・そのままの存在感)ことですので、以後マインドの動向が読み解けた中での日常となっていきますね。

そこに感じてみます。という、目的はないですね。
ただ、マインドがそう思いたがっている・・・という客観だけがある。と思います。
Posted by チームtheドラゴン at 2019年10月20日 11:23
ただ深く眠る
ただ深く集中する
ただ深く瞑想する
ただ深く安らぐ

という感覚が

ただいまここにある

という感覚です◎

頭の中の浅い想念の世界で苦しむのか→(>_<)←

胸の中の深い光の世界に安らぐのか←(*´▽`*)→

自分次第です◎
Posted by 大空(おおぞら)大空(おおぞら) at 2019年10月20日 11:28
私達は「考えること」に慣れすぎていて、すぐにそのスイッチが入ってしまいます。

そして「何で?どうして?」の繰り返し中に引き込まれてしまいます。

「考えること」をやめる習慣をつけてみませんか?

そうしたら「あるがままのいま」しかないことに気づいていくはずです。

気楽に参りましょっ^ ^
Posted by まぁるいこころまぁるいこころ at 2019年10月20日 11:44
もう、お皿洗いばっかりしてる~、とブーブー言ってても、いまだけになれば文句が消えます。
阿倍さんのブログを読むとウキウキと気持ちが変わるのが不思議です。
Posted by 風 at 2019年10月20日 12:38
私は一瞥体験も何もないので阿部さんの仰ることをそのまま受け取る事に決めました。

一秒先も無い!
一秒後も無い!
以上!!

それなのにいつの間にか気づいたら思考に取り込まれています。
それでもめげずに唱えます!!
そしてすぐにフフッと笑っていい気分を選んで方向転換する事の繰り返しです。
それしか今の私に出来ることはないかも〜^_^

それでいいのだぁ〜
Posted by シンプル at 2019年10月20日 14:36
>これ以外はマインドの中にしか存在していません。

>そしてマインドの中身はすべて幻想です。

『時間』も、これに含まれるということなんですね?
そして、『時間』は、『思考だけ』の問題と・・・・・

んー、たぶんですね、『思考』と、『物質的』な『距離』とか『変化』を同列に・・・
もしかしたら、『物質的』な『距離』とか『変化』すら、『思考だけの問題』としてもいいの?
そういうことに、自分の『マインド』は、疑問を持っているようなんですね・・・・・
あの、どこまでも高く、広い空や宇宙も、

『思考だけの問題』

と思ってもいいの?????
て感じなんです。
もしかして、この硬く冷たいフローリングも、『マインドだけ』の問題?
『思考を離れた事実』として、空や宇宙、フローリングがあるのではなくて?

・・・・・なんていろいろ湧いてきている思考や感情等も、
一歩引けば、ただのエネルギーの流れであって、
それらを『眺めているだけ』の・・・ところ?は、時間も無いし、何も変わっていない。
『無』と同じ、と言ってもいいと思います。その感覚は、気付いてない時ですら、
常にそう、ということは、確信しています。

でも、それ以外の、起こってくる『全て』を、『マインド』の問題と片付けても、本当にいいの?
て辺りに、戸惑いがあるようです、どうやら。

お陰様で、『時間』とか『物質世界』について、何を疑問に思ってるのか?
のあたりはついたと思います。ありがとうございました。
Posted by ただの「自分」 at 2019年10月20日 20:05
マインドを外してみると、世の中、とてもシンプルになります。 しかし、世の中は、マインドによるものの方が多いと思われ、それも、すべてゼロにすればいいというわけではないのではないか。 とても面倒くさいものですけどね。
Posted by ひよどり at 2019年10月20日 20:37
空とか目覚めとか、そんな知識が全く無かった頃、世界中の全てが自分の手の中にある様な、主人公としてソレを見ている感覚になる事が、度々あって・・・

「体験している今」からはズレていますが、そこから色を見ていたのかな?と思ったりして、でも違ったりして ····· ヨク、ワカリマセン
知識を前提としてからは、この感覚がなくなってしまいました。
Posted by bIues♬ at 2019年10月20日 21:15
物理学者が書いた『時間は存在しない』という本の広告をこないだ見ました。理解出来なさそうだから読む気になれませんが(汗)でも世界的ベストセラーだそうで、時間は存在しないと考える人が増えているんでしょうか?
Posted by 七色 at 2019年10月20日 22:16
夢から目が覚めて、なぜ?夢だと気が付かなかったのかと・・起こっていることにどっぷり浸かった自分に呆れることがあります。

数えきれないほど見てきた夢で、たった1度だけ「これは夢だ」と気が付いたことがあります。
何故なら・・ハリウッドスターになっていて、赤いジュータンの上を歩きインタビューを受けていたから(面白い?)

鏡がなくても、超美人な事は相手の反応で判りとっさに「英語が喋れない」事を笑顔で誤魔化している。
で、もって、夢を確かめる為、自分の胸をこっそり触ってみた・・やわらかい
夢から覚めて、これって、願望?

本当は何も起こっていない
あるがままのいまがあるだけ
マインドの中身はすべて幻想です。
ハイ!わかりました。
Posted by TOMO at 2019年10月20日 23:32
真理を知識として理解しようとし、分からないので質問が起こるのだと思いますが、
真理に「ついて」の知識を持ちたがり、それに「ついて」議論したがる人っていますね。自分は分かってると思ってる人。そうは思ってなくても自分は人よりいい線行ってると思ってる人。

謙虚になって、これは自分には分からないことなんだと思えないのかなと思ってしまいます。

※不適切であればコメント蘭への反応は不要です。
Posted by ムジャ at 2019年10月21日 00:53
人間の肉体は、完全に、時空間に縛られている。
その証拠に、年を取らない人はいないし、髪の毛や爪が伸びない人はいないし、永遠に生きる人はいない。
肉体はいつか必ず滅びる。

心はと言うと、肉体よりも微細な次元にあるため、より自由に、過去にも未来にも、宇宙にも行くことが出来る。
と言うことは、時空間に縛られていないと言うことになるが、睡眠中は、心は消滅しているので、完全に自由とは言えない。
そして、肉体の消滅と共に、心も消滅してしまう。

結局のところ、時間は無いとしても、「わたし」という存在は、限られた時空間=スペース(この世)に閉じこめられた存在なのだ。
瞑想中に、時が止まったような感覚になることがあるが、それでも、肉体は時空間の中に在るため、瞑想をすると、肉体の老化が止まる、という話は聞いたことが無いし、生死を超える、という話も聞いたことが無い。

生滅がある存在は、永遠とは言えず、完全に自由な存在ではない、ということになる。

しかし、この肉体と心だけが、「わたし」ではない。

「永遠のわたし」が、「わたし」として、時空間を超えて存在する。
Posted by 永遠のわたし at 2019年10月21日 01:24
七色さん

模察と申します。

『時間は存在しない』を読みました。
難しそうですが、私"模察"でも最後まで読めました(汗)

現代の物理学は、昔ニュートンが言った「全てから独立した絶対的な時間が存在する」を否定していると書いてます。
一方で、私達が感覚的に感じている時間はあることは、誰も否定はできません。
過去と現在と未来という時間があり、過去から未来へと一方向へと流れているこの感覚。
この時間感覚が感じられるから、私達は"時間が100%あると信じ切っています。
しかし、時間感覚とは後天的なものであるというのが、この本が述べていることの概要です。

物理学的な見方では時間はない。
この事実を受け入れて"時間が100%無い”と頭を完全に切り替えるべきということはありません。
"時間が100%ある”という信念を手放して、疑えるならば十分だと思います。

日常生活には時間は欠かせませんので、時間がないなんて言えません。
ですが、日常生活で苦しみを感じる時、時間が流れていると感じさせる過去/現在/未来の思考(記憶)が原因となって生じているのも確かです。
ならば、主観的に感じている時間とは幻想で、過去/現在/未来の思考(記憶)を手放せば苦しみは消え去ります。

「時間はあるようで無い。時間は無いようである。」としか言葉では言いようがなく、この本でも"ある or無い"のどちらかを決めつける結論は書かれていませんでした。
Posted by 模察模察 at 2019年10月21日 10:32
マインド=思考=時間=分離した私

これはみんな同じものの別名であり、根源的な錯覚

いま、いまの中に在るのか

マインド(時間・ストーリー)の中にいたいのか

マインドの中身の精査ではなく、まさにいまに在ること

本当は何も起きていない

あるがままのいま以外はマインドの中にしか存在していない

マインドの中身はすべて幻想

阿部さんがくださった言霊が呪文のようにぐるぐるマインドのなかをまわって、
自分で作り出したマインドの硬い殻みたいなのをコツコツつついて、ひびがはいって、いまマインドにどっぷりはまってるよってきづかせてくださいます、
Posted by ふく at 2019年10月22日 14:26
※このブログではブログの持ち主が承認した後、コメントが反映される設定です。
 
<ご注意>
書き込まれた内容は公開され、ブログの持ち主だけが削除できます。