【ちっとも分かっちゃいないの巻】
■今朝、妻は「塩狩峠」をまた読み終えた、と言う。
図書館で借りて、その後に文庫本を買った。
「氷点」も購入し、読み返したい、と言っている。
■魂の作家、三浦綾子(1922~99年)に心を奪われ、30年近くになるだろうか。
◇
■わたしは川端康成の熱心な読者ではない。
若い頃に読んだ一部の作品で、分かったような気になっていた。
ノーベル賞作家という重々しい肩書きを敬遠して勝手なイメージを抱いていた。
神経質で取っ付き難い書斎派と決め付け、著作も好まなかった。
■ふと手にした「名人」を読み返し、「記念館」に行って、そうではなかったと思い始めた。半世紀ぶりのリアル碁の再開によってである。
幼き日の不仕合わせな境遇や虚弱体質の克服から、「新人発掘の名人」との異名を取るほどの後進に対する面倒見のよさ、日本文化の世界発信に至るまで、超人的活躍の場を広げていく。
そうした中で、人前でのちょっとした挨拶にも、ビリッと辛味を利かせたユーモアを忘れることはない。
氏もまた、魂でモノを書き、発言し、行動する「克己の人」であり「奇跡の人」であり「サービス精神旺盛の人」として生きた。
◇
■近現代日本文学の頂点にあった彼は、仕事以外の楽しみも数多く持っていた。
祖父の影響による囲碁は高手であり、著作によっても昇華してみせた。
源氏物語などの古典を読み漁り、日本の美意識や自然観、死生観に磨きを掛けた。
江戸期の水墨画、ピカソやロダン、現代美術に至るまで、ありとあらゆる「美しいもの」を集めては、審美眼を研ぎ澄ませた。
そしてペット。コリーやテリアを何匹も飼い、モズやコマドリ、ホオジロ、さらにはミミズクまでも傍に置いた。
勝手に住みついた黒猫には「マダ飼うと決めたわけじゃないよ」と話し掛けて「マダ」と名前を付けた。
■復元された氏の書斎にあって、ふと思った。
三浦綾子記念文学館(北海道旭川市)にマダ行っていない、と。