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まれにいいこと

小さないいこと探しながら、今日もなんとか暮らしています。

PTAについて考えてみた② ~学校運営に関わりたいのは、なぜ?

昨日の続きです。

はてなスターやブックマークを付けてくださった方、ありがとうございます!

(このシリーズ、辛口なことも書いてしまうと思うので、将来的に消すかもしれません…その時は、ごめんなさい! ) yotoro.hatenablog.com

 

カナダでは、学校行事やクラス行事がある際、ボランティア募集がかけられる。

「やりたい!」という親が多く、ほとんどの場合、すぐにその枠が埋まってしまう。 

それはなぜか、考えてみた。

 

 

ズバリ、不透明な学校運営がもたらす副作用!!

これに尽きると思う。

 

※「カナダと言っても広いので、州や地域、学校形態によって、違いは有り得る」という前提のもと、私の住む地域の公立学校をもとに、話を進めていきますが...

 

今日は、学校行事を例にとり、考えてみたい。

カナダでは、入学式も、授業参観も、運動会も、文化祭も、演劇発表会も、ベルマーク集めやバザーも、ない

以下、学校で実施される行事。これらの行事ほとんどに対して、親のボランティアが募集される。 

 

 

① 子どもたちだけで完結するイベント

・ (体力測定の意味合いが濃い)陸上記録会、演劇鑑賞、ダンスパーティーなど。

各種イベント実施前に、親宛てに寄付金の要請はくるが、強制ではない。

イベントの有無や内容は、その年によって流動的。

 

② 子どもが参加し、かつ親が見学できる、毎年恒例のイベント

・ 働く親を考慮して、夜に行われる、年に1度の音楽祭(びっくりするくらい簡素なやつ)

 

③ 子どもが参加し、かつ親が見学できる、不定期イベント

 ・ 年に0~2回程度の作品展示会。その年によって、実施の有無も、テーマも流動的。

 

④ 希望の親のみが参加

・ 交流会的なイベント(寄付金集めを目的としたものが主)が、年に1~2回程度。

 

⑤ 親も子も参加が強制ではない、毎年恒例のイベント

・ スクールフェア

休日に、校庭にアミューズメントパーク的なものを設置し、遊べるイベント。寄付金集めを目的とし、チケットを有料販売、設置した遊具で遊ぶことができる。

昨日の投稿にあった、School Councilが一番活躍するところ。

休日開催なので、子どもや親の参加は強制ではないかわりに、広く門戸が開放され、他校の生徒や近隣住民など、誰でも自由に参加することができる。 

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⑥ その他、クラス行事

・ 遠足や実験、各種体験教室等の授業が、各担任の裁量で実施される(担任にもよるが、たいした回数はない)。

 

 

このように、日本に比べると、学校行事が圧倒的に少ない。 

親が子どもの活躍を間近に見られる機会は、さらに少ない。

 

こういう環境においては、

「機会があるなら、是非、子どもたちの学校生活を見てみたい!」

というのが、親の心情。

これが、ボランティアをはじめとした、学校運営への積極的な参加姿勢につながっている。

 

 

日本で教員をしていた折、その業務の多さに翻弄された。

今日の投稿では、「学校行事」ということに焦点を当てているので、日本のそれを考えた時、「その行事、本当に必要か?」と思ってしまうものも多い。

小さな行事はもとより、毎年恒例の大きな行事ですら、疑問に思うことがあった。

 

例えば、文化祭。

生徒から成る文化祭実行委員会、クラスから数名、委員を選出しなければならなかったが、誰もやりたがらず、クラスで何の出し物をするのか決めるのも、作り上げるのも、生徒たちは嫌々だった。

そんな生徒たちを指導する教員は、日々疲労困憊。

当日は、もちろん盛り上がる。

「楽しかった!」と満足する。

でも、翌年は、また同じことの繰り返し。

結局は、何かをやり終えた後の一時的な達成感にすぎないのかな?と思ってしまう。

 

例えば、運動会。

教員は、その準備に追われる。

親たちは、場所取りやお弁当の準備で大変だという。

子どもが運動会で順位を付けられることに、抵抗を感じる親も多い。

当日は、もちろん子どもたちの成長を見て感動もするし、達成感もあるのだけれど。

 

一度、全部行事を洗い出して、それが本当に必要なのかどうか、決を採ってみてもいいと思う。

やるにしても、もっと簡素化してもいいと思うし。

「恒例行事だからやる」というのは、もうやめにしたらどうかと思う。

 

 

ただし、行事の量が、多いから、少ないから、それが良いとか悪いとかいう話ではない。

 

カナダでは行事が少なすぎて、それはそれで不満なのだ。

これまでの投稿でも何度かふれているが、子どもたちが、学校で何をしているのか、不透明すぎるのだ。

行事が少ないことも、不透明感を増す原因のひとつだ。

余計な人間付き合いも生まれず、学校運営に関わって忙しくすることもなく、慣れてしまえば気楽だとも言えるが、たいていの親は、学校で成長している我が子の姿を見たいと思っている。

それが、ボランティアはじめ、学校運営に積極的に参加しようと、駆り立てている原動力だ。

要は、見えない学校経営が、より積極的な親の参加意欲を生んでいるという皮肉な結果だともいえる。

 

 

日本各種学校行事は、文化的、体育的、儀式的な観点から、バランスよく生み出された結果だという。

緻密に考えられた結果生み出された、理想の行事たちに違いない。

でも、もし時代にそぐわないならば、多すぎて負担になっているようなら、やめてもいいと思うし、一新してもいいと思う。

 

 

国際化社会と言われる今、どちらが良い悪いではなく、こういった面でも、お互い学び合えれば良いのになと思う、今日この頃。