私の人生のなかで、

怒りにコントロールされる場面

が多々あった。


今日、私は、何か、ひとつの出来事を乗り越えようとして、自分だけでは抱えられなかったので、母に、助けをもらいたかった。


でも、素直な助けを求めることができず、ただ、自分の不甲斐なさを、相手にたいして怒りでぶつけてしまいました。


怒りの裏には、悲しみがありました。


何でできないの、

怒られたくない

恐れ


実際、私はそれが出来ない(昨日が締め切りだった、心と魂の成長の為の学校に行くこと)事への恐れを感じていました。


つまり、

その学校に行けない私は、成長することが出来ない、成長するためのチャンスを、自ら失ったんだ!


という、そうしつかん。


でも、

本当に、そうなんだろうか?


いまいち、自分自身が行きたい、と言いながら、其ほど必死ではないところを感じていました。

勿論、行けたら行けたでいいけれど、行かない私も大丈夫


そんな、一歩離れて、冷静に観察している私がいました。





どんな私もいとおしい。


もはや、外に求める時代は終わった。


私は、私自身で自分を成長させることができる。

何かを学ばなくても、ちゃんと知っている私がいる。


自分の中心に還りなさい。


私が、貴方を待っています。




何も持たない、鎧を着ない

という、チャレンジなのかもしれない。


誰が なんと言おうと、

                      一番

             聴かなければならないのは

                            私自身の声



私は、なんといっているのか?


                     耳を、

              これまで以上に

                     よく よく

                   傾けていこう




耳を、傾ければ、だんだんその声も、大きく聴こえてくるようになるでしょう。



          うまくいっています。


        うまくいくしかないんです。


                 あなたは只、

          私に身を委ねてください。





                
                    ハイアーセルフより🌈