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2019-06-23 | 司馬遼太郎


司馬遼太郎
『新装版 播磨灘物語(四)』★★★★

とうとう終わってしまった。
最後は何だか駆け足でさらさらと流すが如く・・
もっと踏み込めばもう一冊ぐらい書けたのでは?(新聞掲載ですが)

そうね、やはり秀吉の天下までなのか。

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・備中の山
・備中高松城
・安国寺殿
・変報 ←
・東へ
・尼崎
・遠い煙
・如水


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ここに、信じがたいことがおこった。
信長・信忠父子が死んだ、という。


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あっけなくも六月二日の早暁、丹下から南下した光秀とその軍勢が本能寺の信長を襲った。
知らぬ人はいない「本能寺の変」

ちょうど高松城を水攻めにし(いやホント秀吉の奇抜な発想!)
城主の清水宗治に腹を切らせるまでの交渉が進んだところで。

そう信長の死でもって腹を切らなくてもよいのでは?
どきどき

一体どっちに味方しているの?(笑)
駆け引きとも言える心理戦に参ってしまう。

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(信長は、たしかに死んだ。まちがいはない)
隆景は、おもった。毛利家の頭上にあった巨大な敵が、一瞬で消えた。毛利家は、死地から脱した。
思えば、夢のようである。



「信長が・・・・・・死んだか」
元春は、声を殺してつぶやき、もともと感情の量の多い男だけに、顔を伏せて泣きだした。
むろん信長の死を悼んでいるのではない。信長に苦しめられつづけた過去のことが、一時に感情を刺激したのである。
石山本願寺の支援以来、毛利家はくるしみの連続であった。
ついにこの備中において信長の代官の羽柴秀吉と対峙し、元春のような男には忍びないことながら、一戦することなく、数ヵ国を割譲し、清水宗治を切腹させ、弓矢の家としてたえがたい屈辱をしのんで講和した。すべての頭上に信長がいるためであった。信長が数十万の兵をひきいて来援すれば毛利氏などこなごなになってしまうために、元春は隆景の主唱する講和に賛成した。


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そして官兵衛は、秀吉の相談役としてたえずそばに居た。


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(羽柴は、運とやり方次第では天下をとるだろう。しかし保てるどうかは、わからない)
しかし官兵衛としては、この男を画布として自分の絵をかいてみようと思った以上、なんとかこの男の形がつくまでもりたててゆくしまない。


秀吉がしきりに、
「主の仇」
という言葉をつかい、この合戦では自分は打物とっての打ちあいまでやる、討死は覚悟している、などといった。自分の主題を押しつけるのに執拗なほどだったが、しかしたれもがその言葉のあくの強さを不快にはおもわなかった。事実、この戦いは信長への弔い合戦であり、たれもが、異存はない。ただ秀吉に天下を狙う野心があるのかないのか、一応はみな疑いの気持を持ったが、しかし、秀吉が「主の仇」を繰りかえしいうがために、そういう疑念もいつしか一同の脳裏から去ってしまった。


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山崎の戦い



光秀の最後がまさかこんな・・



そして月日は流れ、関ヶ原の戦いが終わり
如水(という号へ)の息子長政が凱旋から戻り、自分の功を報告した。

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とくに戦闘中、小早川秀秋を裏切らせ戦況を一変させたのは長政であり、戦闘終了後、家康は長政の手をとり、この勝ちは甲斐殿(長政)のおかげでござる、といって、その手を、三度まで押し頂いた。長政は、そのことを、如水がほめてくれるかと思い、くわしく話した。
しかし如水は苦い表情が居た。やがて如水は、家康が執ったというのそちの手は、左手であったか、右手であったか、と反問した。
「右手でございました」
「すると、そちの左手は何をしていたのか」
長政は、絶句した。長政は、ついに如水という男が何者であるか、わからなかったであろう。


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あぁおもしろかった!









「文庫本のために」必読です。

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