コックファイター
  監督 : モンテ・ヘルマン
  製作 : アメリカ

  作年 : 1974年
  出演 : ウォーレン・オーツ / ハリー・ディーン・スタントン / リチャード・B・シャル

 


主人公が手にするのは闘鶏のための、それは見事な鶏です。背中から首筋に伸びる精悍な線、攻撃的に蹴上がった象牙色の足に近代的な角度で生命の切っ先へと突き立てられる嘴、そしてそれらを祝祭的に飾り立てる(まさに戦う者の、そして戦うだけに生きて死んでいくだけの悲しいばかりに)優雅な長い尾羽です。長短ある金属製の、反った針を足につけられて啄みそして蹴上がって相手の頭上で足をばたつかせる戦いは瞬く一瞬に針を相手の首に突き立てて勝敗を決するわけです。試合場の脇には敗れたものがそして勝ったとしても死闘に(まさに尾羽打ち枯らして)息絶え絶えであるものが情けで首を折られて積まれていきます。残酷な賭けではありますが単に金儲けの道具に容赦なく酷使するだけでなく(ただその線はどう言ったところで拭いようはなくその上で)鶏への、崇拝といっていい紐帯があるのも事実です。思えば食用の家畜を丹精込めて育てるのにも似てそれらの生命を奪うことの先に売る賭けるという金銭の交差があって動物人間それぞれの生きることが絡み合い(そして感情もまた絡み合って)一概に解きほぐせるものではありません。ただ賭けの場合生命を奪うことに賭けている、そこにどうにも残酷さがつきまとうわけです。ウォーレン・オーツ、ハリー・ディーン・スタントンはともに闘鶏にどっぷりと生きている男です。闘鶏は郡による大会を頂点にして巷の大会からそれこそ納屋の奥でひっそり行われもしますがどうあれ命を奪い合うために賭け金がついて廻ります。賭けというのは不思議なものでしてあって当たり前とされるイカサマと(こと金のことになると命ででも代償させる)厳格な公正さが同居して主人公も口あけ早々に賭け率を引き上げようとちょっと嘴に細工をするつもりがしくじって負けてしまい有り金どころかキャンピングカー(にそこで一緒に暮らしていたフーテン嬢まで)も巻き上げられます。(まあどこもかしこも面白いように札びらを切って札を鼻紙の束みたいに無造作に数えては鷲掴みに突き出します。それからしても彼らが賭けているのは単純に金ではなくやはり自分の命なのでしょう。)しかしどんなに闘鶏に浸ろうとも男たちだけで生きていけるはずはなく彼らの熱狂の傍らにあって女性たちの、生活への希求が野放図な男たちの時間にどんな線を引くことになるか、本作でとくとご覧頂きたいと思います。闘鶏の一日を終えて(しかも念願の勝利と大金を手にして)草っぱらの坂道を肩寄せ合って上っていく男たちの向こうには傾きながら暮れるでもない太陽があってうだうだした陽光に行き場のない緊張感がたなびいてそんな70年代の光が男たちを迎え入れていきます。
 

 

 

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