十把一絡げに悪役と言いましても(田中浩のようにわんぱくを通り越して煮染めた汗を滴らせて岩でも砕きそうな屈強さもあれば八名信夫の、声こそ破れた風琴のようですがぬらっとした二枚目で自分の姿形に収まらない野心に揺らめくそんな立ち姿もあるなかで)一度見ると夢の中まで追い掛けてきそうな面構えで柔らかく構えてはかろうじて人間の皮をかぶっているという薄刃の凄みにぞくぞくする魅力を発するのが山本昌平です。一作見てみましょう、若松孝二監督『日本暴行暗黒史 異常者の血』(何ともはやな題名ですが)。本作でまず驚かされるのは独立プロのピンク映画にありながら何と時代物でして勿論予算逼迫の製作ですから必要最小限な時代のしつらえで馬小屋と庄屋の大広間、あとはすべて川原で済ませますけど、若松プロの事務所でもあったアパートの一室でともすれば密室劇であった(『胎児が密猟する時』『裏切りの季節』『ゆけゆけ二度目の処女』の)ことを思えば主人公がちょんまげをして刀を差しているだけでも唖然と見送って独立プロでやれるぎりぎりのひとつ向こうをまさぐっている若松の気骨に恐れ入ります。現代の無軌道なひとりの若者から御一新前の長州藩の郷村へと遡ると以降は大正、昭和となぞってひとりの男の暴虐の血が連綿と時代の血脈となっていきます。脚本は足立正生ですからおわかりの通り日本の近代を暴行という暗喩で捉えようという寸法です(、まあ敢えて触れますと暴行犯の<汚れた呪われた血>が息子に更にその子に受け継がれるというのはまったく自然主義的な優生思想で現代には届かない批判でしょう)。ことの始まりは倒幕に出陣する館の馬屋がありったけ出払うのでは主の恥と小作人が馬代わりに馬屋にくくりつけられてそこへ勝てば官軍の(いまも<とことんやれとんやれな>を口ずさむ)意気揚々ぶりで帰参してくるのが山本です。身分の違いを上から見下ろして労い半分主人公の自尊心をからかいに甚振って... 髷物になると引き締まった青年の顔に人物の実も身にまとう暮らし向きまで映してこのひとが内側に潜めている精悍な二枚目です。

 

 

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一般映画に活動を広げるまでは山本昌平も長くピンク映画の荒野を駆け巡ります。若松孝二監督『処女ゲバゲバ』(若松プロ 1969年)は呑み屋で乞われるまま大島渚がおふざけで閃いた題名を頂いて富士山麓の赤土の原野が舞台です。足立正生監督『女学生ゲリラ』のロケを只では富士山には行かせずにそのまま居残ってもう一本撮り上げたのが本作で(この辺りがやがてピンクから一般映画に製作を広げながらその一生を独立プロで気焔を吐いた若松の算盤の置き方で)若松プロらしいのは見霽かす赤土の大地に登場人物を放り込みながら見事なまでに密室劇であることでして組織では御法度の恋仲になったチンピラとフーテン娘は甚振る朋輩どもにすし詰めにされて車が二台やってきます。規律は規律ですからチンピラはここで処分されるんですがボスからはこの世の別れに思うさま女たちを宛てがいその間はチンピラのことを<ボス>と呼んで敬えときつく言いつけられています。まあこれが混乱の元で裸にひん剥いて蹴つり廻している分にはよかったんですがチンピラが一端反抗し始めると<ボス>と呼べば腰が引けるいつもの倣いでいまひとつ強く出られないままおめおめと逃げられてしまうドジぶり、そんな朋輩のひとりが山本です。ひょろりと細い体に顔だけぬらりと飛び出してちびっちゃいナイフのように身構えますがいざ残酷な局面になってみると自分で自分がしでかすことに身が竦むような体のくねらせ方で(やがて寓意的な容赦のなさが響き渡るとは言え)喜劇調の芝居にうまく魅力を乗せてきます。まあひと口にピンク映画と言いましてもおいそれとは見られないヤマベプロや葵映画ともなると私の手にあまりますから次も若松関連になりますが大和屋竺監督『荒野のダッチワイフ』(国映 1967年)は先程の『処女ゲバゲバ』と同じく大和屋の脚本です。ひとりの女性の死を巡ってその仇討ちに向かい合う殺し屋ふたりの物語でやがて『殺しの烙印』(鈴木清順監督 日活 1967年)へと飛翔していくその滑走の向かい風にたなびいています。(死んだ女を深く胸に沈めながら別の女性の救出を依頼されて事件に踏み込むうちに女と女が死によってぐるぐると入れ替わっていくという手際には60年代的なヌーヴォー・ロマンの不条理とともに同じ百両を貢がせる相手と貢ぐ相手が実は同じとは知らないままぐるぐると廻る歌舞伎の閉じた環の話法をそこに見ると『荒野のダッチワイフ』の向こうに松本俊夫監督『修羅』が浮かび上がってきて... )主人公に追われるもうひとりの殺し屋というのが山本でシュトロハイムばりの、片眼鏡に映ったような無表情が印象的です。

 

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最後に山本昌平の私の一本を挙げて彼の睨みすえたその眼差し(とやがて綻ぶ微笑み)が泉下へ静かに遠ざかっていくのを見送りたいと思います。五社英雄監督『暴力街』(東映 1974年)は足を洗った元やくざがいまでは銀座でキャバレーを経営しながらかつての子分たちが引き起こす騒動にふたたび修羅場をくぐることになるという早くは瀬川昌治監督『日本暗黒街』(東映 1966年)、任侠映画の衰微とともに鶴田浩二主演で作られた同工異曲をそのまま引いています。ただ脚本にはやや捻ったところもあって東西の暴力組織を全面抗争に追い込むために子分たちは関西の組を騙って行動していますが更にひと捻りその子分たちのなかに関西の組から指令を受けている者が入り込んでこの行動自体が関西の絵図面で引かれているというのです。ただ(話が煩瑣になるのを嫌ったのか)五社はここを捻る前にほどいてしまって... 冒頭から(くどいほどフラメンコの実演で語りに踏み鳴らすような熱気を入れようとしますが)いつもながらの東映ギャング映画の空足を踏んでゆっくりとそのまま失速していきます。それが一転映画に語りの稠密さが漲るのは山本昌平が現れた瞬間です。以降彼が安藤との死闘に絶命するまで映画は自らの歓喜に身をよじるようで殺し屋である山本は物語の時間からまるで影のように身を反らして立ち上がると脈や綾に縛りつけられた他の人物の間を跳梁しすさまじい勢いでいまを繰りながら(実のところ五社自身が生真面目に筋に縛りつけられているのをあざ笑うかのように)大きく翻っています。まさに人間という薄皮の下にうずうずした活劇のいまを携えて黒づくめの出で立ちに肩には大きな極楽色の鸚鵡を乗せているなどとどこまで私たちを沸き立たせるのか、挙句に相棒に連れているのが(野際陽子を思わせる)反り返った美人でありながら野太いがらっぱちの男性(で容赦ない剃刀の使い手)という幾重にも折り込まれた魅惑に黒く浮かび上がって... ここに五社というひとの本来の気質が疼いているのを私は見る思いなのですがそれもこれもいまは山本昌平の横顔に映して。

 

 

 

五社英雄 暴力街 山本昌平

 

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若松孝二 日本暴力暗黒史 山本昌平

 

 

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