秀子の車掌さん
  監督 : 成瀬巳喜男

  製作 : 南欧映画
  作年 : 1941年
  出演 : 高峰秀子 / 藤原鶏太 / 夏川大二郎 / 勝見庸太郎 / 清川玉枝

 

 

成瀬巳喜男 秀子の車掌 高峰秀子


のっけからバスの正面車窓をキャメラが覗いて長閑な街道を揺られているんですから思わず清水宏を思い浮かべて... してやったりの成瀬巳喜男のほくそ笑みが見えるようです。(まあ『有りがたうさん』(松竹 1936年)は言うに及ばずバスに乗っても荷車でも走っても歩いても風に葉裏の照り返しが瞬くように街道を行くひとの姿に人生を映す清水宏ではありますが)とは言え同じ1941年に同じくバスの女車掌をヒロインにしながらほんの3ヶ月違いで公開される清水宏監督『暁の合唱』と本作は然ながら競作のようでして尤もヒロインの目線をはるかに仰いで佐分利信と川崎弘子のしずしずとした大人の恋心を響かせる『暁の合唱』に比べて本作で高峰秀子に充てがわれるのは藤原釜足ひとりきり、身長こそお似合いのふたりですが田舎の土間敷きの会社で若さの毎日を送るざっかけない同僚という息遣いからは一歩も近づきませんから(60分に満たない尺ということもあって)何ともこじんまりとした作りです。ただこの清水と成瀬の足並みはこれで終わらず間髪入れず発表される清水の『簪』は本作と同じく井伏鱒二を原作に同じ短編集に並んだ一編でしてさてそんな腕が鳴る鳴る小気味よい応酬がほんとにあったのか偶然か。それもこれもバスガールが当節手堅い職業婦人だったからですが(婦人職業指導会『最新婦人職業案内』を覗いてみますと<婦人車掌>の項目の隣が<女流飛行家>そして<エア・ガール>とあってはこの本の昭和8年には何と航空時代が幕開けしておりますよ)、高峰秀子のいまはそう安泰でもないようです。藤原運転の傍らで見廻す車内には人っ子ひとりなく、ただ窓から差し込む陽光がガタゴトと揺れています。何せ車が随分くたびれていて社長のケチぶりで満足に改装もしないんですからてんで客から見くびられて新しく出来た同路線のバス会社にすっかり水を開けられている始末、いまも青色吐息のこのバスを最新鋭のライバル車がすいすいと水面でも掻くように追い抜いていきます。そんなですからたまに乗り込むひとがあっても鶏を小脇に抱えるどころか(空いているのをいいことに)呆れるほど箱を提げて入ってはあとは後ろで高鼾。子沢山の母親もひととわが子ですし詰めにされるのを嫌ってこのバスを選んでいるだけでいつも空いていることだけがこのバスの魅力だとはあけすけに言ってくれるものです。何か、何か自分にできることはないか、乗客をまた盛り返したいのもそうですが<自分の仕事を立派にやりたい>と知恵を絞る高峰です。さてもさても妙案が思い浮かぶのですが... そんな浮き立つふたりを置き去りにしてまるで反故の紙でも捻るような結末は人生の皮肉ともとられかねませんが成瀬に皮肉は似合いません。悲しみが吹き渡るときの、肌が少し総毛立つ感じ、爽やかな、むしゃぶりつくような。

 

 

 

 

 

成瀬巳喜男 秀子の車掌 馬野都留子 高峰秀子

 

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成瀬巳喜男 秀子の車掌 高峰秀子

 

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