ペトラ・フォン・カントの苦い涙
  監督 : ライナー・ヴェルナー・ファスビンダー
  製作 : ドイツ

  作年 : 1972年
  出演 : マルギット・カルステンセン / ハンナ・シグラ / イルム・ヘルマン / カトリン・シャーケ

 

 

ファスビンダー ペトラ・フォン・カントの苦い涙 ハンナ・シグラ マルギット・カルステンセン


いくら思い返しても驚かされるのはファスビンダーの没年でして製作した映画の数と時代と年齢がどうにも釣り合いません。40を越える映画を70年代に撮って37歳で亡くなった映画監督というものをどうやったら想像できるのか、さてもさても精力的な風貌です。(どこがどう似ているわけでもありませんが若松孝二や中上健次を思わせる、体格の大きさも然ることながら人間の輪郭に獣の皮を纏ったような威圧感に息苦しいほどの創作欲を滲ませています。)多作のひとつの秘密を垣間見せるのが本作で一場六景とでもなる構成はまさしく演劇的であって2時間の映画をキャメラはヒロインの寝室から出ることはありません。いまや二度目の離婚と相成ったヒロインは名だたる服飾デザイナーであり気怠く時間を弄ぶ毎日を瀟洒な邸宅と上品さを流行へと払ったような調度品に取り囲まれて彼女が手にした成功のほどがわかります。実際結婚当初こそ圧倒的な夫の経済力に守られ(同時に彼の、妻の何くれと口の端に上る要望に寛容な笑顔で聞き入りつつ一方で自分のお金の威力でひとりの女を組み敷きたいという自尊心を満たし)ていたのが妻の思わぬ成功と踵を返すように事業を転落させてしまった彼の、その後の惨めなまでの支配欲を(逆転したその財力で)容赦なく打ち据えます。愛という不均衡で一方的に優位に立った者の自由を思うさま讃歌しますがやがて彼女の前に魅惑的なひとりの若い女性が現れたことで不均衡の傾斜に呑み込まれ(そうなるほど相手への強い支配欲に取り乱し)ていきます。おわかりのように異性愛と同性愛を跨ぎつつひとりの女性が男性的支配を軽蔑しながら愛の自由に振り回されるほど男性的な振る舞いに陥っていって男と女の非対称がおかしいほど男女の相似を浮かび上がらせるのですが、何と言いますかこの映画の、(というかファスビンダーの)たくらみはヒロインのこの苦悶が物語のなかで実際どのような深さをたゆたっているのかわからなくさせます。主題であると思っていた深さが目の一瞬の立ち眩みで表面を浮かぶ綾でしかないかのように... というのは映画はヒロインの目覚めから始まりますが彼女がそうそうにこなすのが<ジョセフ・L・マンキーウィッツ>への手紙です。そこで彼女はマンキーウィッツへの支払いを拒否しその理由を明かさないまま相手に理解を求めるわけですからまさにその理由こそこの映画ということでしょう。大きく見ればドイツ人監督によるアメリカ映画への(支払い)拒否でありそう置いてみるとヒロインは冒頭と結末こそ地毛ですが以降は景が移るたびに色とりどりのカツラに雰囲気を変えていきます。離婚した夫へ女性(と自由)の高らかな勝利を打ち上げる研ぎ澄ました横顔はキャサリン・ヘップバーンをなぞっているでしょうか、不実な愛に酒浸りにのた打ち廻るのは艶やかな金髪にほくろまで付けてどう見てもマリリン・モンローです。では途中でたっぷりの赤毛を輝かせるのはリタ・ヘイワース、ファッション業界での成功で若い娘を魅了するのはまさに『イヴの総て』、ベティ・デイヴィスが反響しています。物語にたゆたいながらヒロインはハリウッド女優を変転していくわけです、まるで私たちの生活や個人の振る舞いの奥深くまでハリウッド映画が喰い込んでわれ知らずそれらを演じているかのように。ともあれ若い愛人はすぐにもヒロインの経済力を満喫すると(愛人としてのお勤めは日に日におざなりになって)ヒロインを踏み台に自らの才能を花開かせてすなわち彼女の手から永遠に飛び立っていって。

 

 

 

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