篠田正浩 乾いた花 藤木敬士


藤木孝(というより当時のままの藤木敬士)の名前に絡み立つように私に浮かんでくるのはまず以て『夜明けの刑事』のオープニングで坂上二郎、石橋正次、鈴木ヒロミツ、石立鉄男と並ぶ藤木はまあいま見ても魅力的な配役です。芝居、魅力、そしてアチャラカになると(目を白黒させながら)むしゃぶりついてくる勘のよさがあって役者としての坂上二郎の素晴らしさは今更言うに及びませんが懐深く構えたときの石立鉄男の(風貌は『水もれ甲介』のチリッチリのままなのに)何とも言えぬ頼もしさ、石橋と鈴木は硬軟の若さに振り分けられて一本気に突っ走る石橋に暴力はからっきしという鈴木は(凄む犯人に)丸眼鏡ごと雨のなかに叩き伏せられます。そのなかでしれっとした容疑者に怒りの拳で詰め寄って一歩も引かぬ凝視に彼の刑事としての矜持を漲らせているのが藤木です。ただ何というか見ていた当時子供の私に去来するのは藤木が醸す際どい両義性でして刑事という職務に一枚岩で献身するにしては藤木の美貌には何か後ろに影を引くものがあり(美青年がその美しさを青年という年齢から引き剥がされるとともに色悪の中年のぬめりを漂わせて)いつ彼がガサ入れの情報を事前に知らせたり署内の押収品の横流しに手を染めたりする背徳刑事の素顔を晒すのかはらはらして見ていたものです。(そういう善悪の線上にあって右、左を眺め渡す薄ら笑いが目にちらついて気が気でないままその刑事ぶりを見つめていたのは他にも『熱中時代 刑事編』の細川俊之が懐かしく... 。)削ぎ立った美貌に怜悧な印象が照り渡ってそれに貼りつく薄笑いを浮かべるわけですからともすると猟奇的な煌めきを帯びて... ただ藤木孝をひと際妖しく切れ味をなぞる心地にさせるのは濡れているとしか言いようのないあの声です。高いのか低いのか一瞬わからない女性の低音のような性のたゆたいがあって明らかな男性の立ち姿が繊細な指先へと抜けていくその先の見えざる予感が子供の私をざわつかせます。


夜明けの刑事 藤木敬士

 


もうひとつ藤木孝で思い出すのはこちらの年齢もぐっと引き上がった20世紀も終わりしな堤春恵の『仮名手本ハムレット』が上演されて(東京芸術劇場 1997年)かの作品は明治の歌舞伎興行で風雲児と謳われた守田勘弥を座主に歌舞伎に生きてきた役者たちがいまは『ハムレット』なる西洋劇の稽古に四苦八苦するさまを描きます。誕生からこの方武家社会と絡みついて一等の芸能へ抜きん出た能楽と違って巷間の猥雑さを胸一杯に吸い込んでよごもごと様式を模索し続けた歌舞伎が西洋に引けを取らぬわが国の文化の誇示のためにあちらのオペラに擬されようという当節、劇のなかに個人を涵養してこなかった歌舞伎に西洋劇を繋いで見たものの(それまでの様式あっての芝居を否定されて)役者たちは芝居がなぞるものを見失っていきます。そのもっとも深い混迷に懊悩するのが藤木孝でそれもそのはず彼こそまさにハムレット役でして(その苦悩こそ知らず知らずハムレットに肉迫しつつ)やがて『仮名手本忠臣蔵』の大星由良之助に秘めた芝居の緒を見出すためにこの題名です。配役で彼の名前を見たときのさわさわとした感慨を思い出しますが若手の立役というのが藤木の相貌にさまになって流転する結末に寧ろ歌舞伎の方こそ時代の新風に吹き込まれることを自覚した(苦さと)清々しさが何か昨日のことのようです。

さて最後に映画での藤木孝に触れて予期せぬ死を急いだ彼のせめてもの慰めと致しましょう。篠田正浩監督『涙を、獅子のたて髪に』(松竹 1962年)は何とはなく『波止場』(エリア・カザン監督 1954年)を思い起こさせる港湾を牛耳る顔役と彼に頭から踏みつけにされながらその屈辱に手荒い愛情を信じようとするチンピラの話で(まあこれだけで話の進み行きも何となく見えてきますがまったく以てそれをなぞって)当時の不良少年物の、湿った手並みの更にも湿った篠田の演出でして(だってオープニングロールからして悩める藤木の顔が揺れては歪むそのしつこさに鼻白んで)... ですのでここは同じ篠田の『乾いた花』を挙げておきましょう。池部良が都会の闇に息づいた(肉体の隅々にまで生きることの虚無を抱え込みながら若さの夢をどこかでまだ求めている)やくざ者で彼の前をまさに生きることが肉体でありその肉体を生きることの躍動が突き破る限界を探しているそんな加賀まりこが現れたことで生きることと死がひとつの希望を夢見ながら疾駆する物語です。藤木孝はふたりが必死で逃れようとしている何かであり同時にふたりして実はそれに向かっている何かでもあって生きることの無感覚に呑み込まれた人殺しです。ひとの運命すらどうとでもなるような大金をこともなげに放って賽の目の偶然に身を投げ出す賭場の片隅で次々投げ出される札束の重い音がまるでこの男の鼓動であるかのようにひとり佇んでいます。とっくに死んでいてひとびとの欲望に炙り出されるように立ち揺らぐと生きることが死と隣合わせであるというありふれたそして揺るぎない現実の、残酷な切れ味を思い味合わせるわけです。がらんどうの瞳で見据えた先に映っていたものは何か、改めて彼の死を浮かべて私たちを見つめている気がします。

 

 

 

 

篠田正浩 乾いた花 藤木敬士

 

 
 

こちらをポチっとよろしくお願いいたします♪

  

 

篠田正浩 涙を、獅子のたて髪に 加賀まりこ 藤木孝

 

 

関連記事

右矢印 昭和34年11月3日の、夜

右矢印 なぜ東映ばかりが

右矢印 山田宏次監督の『昭和残侠伝』

 

 

篠田正浩 乾いた花 池辺良 加賀まりこ 藤木孝

 

夜明けの刑事 藤木敬士 石立鉄男 鈴木ヒロミツ 坂上二郎 石橋正次

 

 

前記事 >>>

「 映画(20と)ひとつ、ミゲル・ゴメス監督『熱波』 」

 
 

 

■ フォローよろしくお願いします ■

『 こけさんの、なま煮えなま焼けなま齧り 』 五十女こけ