映画ひとつ、篠田正浩監督『私たちの結婚』
  監督 : 篠田正浩

  製作 : 松竹
  作年 : 1962年
  出演 : 倍賞千恵子 / 牧 紀子 / 三上真一郎 / 木村 功 / 東野英治郎 / 沢村貞子

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篠田正浩 私たちの結婚 牧紀子 三上真一郎
 

『写楽 Sharaku』(篠田正浩監督 1995年)というのは作品に箱書きがあるような古いところから曰くが始まって川島雄三が生前に題材に考えていたというのです。そのとき話を持ちかけられたフランキー堺は浮世絵師の映画に気乗りがせずそのうち川島が亡くなってみると無念が残るのは寧ろ残された人たちの方でここから写楽への堺の傾倒が始まります。それもこれも映画化を川島の手向けにしたいからですが企画が何度か流れた果て気づけば杯盤狼藉なバブルも終わり自身もいまや老境、いよいよの覚悟でこの篠田正浩での映画化に挑んだはずで(実際翌年にフランキーは永眠するわけで)すが映画を紹介しつつその不甲斐ない出来映えに淀川長治は嘆息にも苛立ちがまじるありさま、さてもさても篠田正浩です。淀川の苛立ちというのは『乾いた花』(1964年)や『暗殺』(1964年)『心中天網島』(1969年)のように切り立った様式美を(これみよがしに)映画に引き込む一方で肝心の映画の方はどうも正鵠を射ないまま見せかけを空廻りしているためでして、例えば『異聞猿飛佐助』(1965年)なんて忍びの者が事件の裏側を追いつつ(見えない敵と暗闘しているつもりで)事件の裏、その裏の裏などもしや自分が生み出した幻影かも知れず自分が追っているのは自分の影ではないかと疑念が忍び込みいやそれ自体が敵の罠かと無限の影の影に呑み込まれるというどうとでも面白くなる筋立てながら進むに連れて事件をただ追って終わってしまって何とも(最初こそ大風呂敷に)中途半端というのが総じて篠田正浩の印象です。本人の陽性の才覚がついついあれこれと映画に引き込むうち収拾のつかないことになって結末に向けて枝葉を刈り込むと肝心の引き込んだものまで切り取ってしまう本末転倒というか駒の朝駆けのようなところがまあ愛らしくもありましょうが、いまはそれは忘れて松竹にあって弾むような若手だったその手並みを堪能致しましょう。牧紀子は妹の倍賞千恵子とともに自動車工場の事務員で気づけばもう22歳、結婚を考えてないわけではありませんが両親が時代に取り囲まれたような海苔養殖の零細に青色吐息とあってはお金の痛みはじんじんと体に染みついています。そこに同じ工員の青年が若者らしい刈り込んだ率直さで(どことなく死んだ兄の面影を浮かべて)現れ、同じ頃敗戦の昔に出入りしていた闇屋の担ぎ屋がいまでは繊維問屋で出世してこざっぱりとした身なりで訪ねてくると結婚という運命の鋳型を前に自分の生き方を見つめずにはいられません。脚本は松山善三でお金と生きざまが足許を浚うような物語にしぶとい筆致を見せて例えばふたりの男性はともに貧乏に<負けるな>とヒロインを鼓舞します。しかし同じひとつの台詞が一方は貧乏を逃れんとして虚栄に縋ることを諌め一方は貧乏に慣れて這い上がる誇りまでどぶに落とすなとけし掛けます。思うに任せない稼業についつい晩酌も度を越す父の姿とお金の現実に打ち据えられた工員青年の酔い潰れる姿も重ねられてヒロインが振り捨てたいものを私たちにしみじみと感じさせます。そんな結末にここまでヒロインの煩悶と決断を逐ってその切実さに現実というものを受け止めながら彼女の肩口からそれでも結婚の理想を叫ばずにはいられない妹が実は松山と篠田が託したもうひとりの女性であることが明かされると題名に込められた<私たち>の広がりが一気に花開きます。

 

 

篠田正浩 私たちの結婚 倍賞千恵子

 

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