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【コラム】ミュージカル『スモーク』(SMOKE):自分の中に眠る感情と向き合う作品

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 2018年の日本初演に引き続き翌年の再演が決まり、いよいよその再演が開幕した韓国創作ミュージカルの『スモーク』(SMOKE, 스모크)。6月の東京芸術劇場シアターウエストでの公演では石井一孝さんの《超》、藤岡正明さんの《海》、彩吹真央さんの《紅》という日本の大劇場ミュージカルに多数出演されている俳優さんたちがキャスティング。かなり短い公演期間ですが、運良く6月8日のソワレ公演を観に行くことができました。

 大好きな作品ではあるものの、数多くある韓国創作ミュージカルの中で「日本ではあまり知られていない李箱(イサン1)の作品と人生をモチーフにしたこの作品を何故?」と観るまで疑問に思っていたのは初演の観劇レポでも書いた通り。改めて一年後に再び『スモーク』の日本語公演を観て、いかにこの心配が杞憂だったのかを改めて思い知らされた気がしました。

 俳優さんたちの演技に対する感想というよりは『スモーク』という作品の解釈やこの作品が自分に訴えてくるところってなんだろうかということについて書いてみたくなったので、今回は観劇レポではなくてコラムとして思ったことを文字にしてみようと思います。

(以下、ネタバレしか基本的にありませんのでご注意ください)

작은 돌멩이지만 힘껏 날아보자
小さな石ころだけど力一杯飛んでみよう

힘껏 날아보면 세상 어딘가에
부딪혀서 왔다간 흔적 정도는 남길 수 있지 않겠니
力一杯飛んでみたら世界のどこかに
ぶつけてきて痕跡くらいは残せるんじゃない

 これは劇中で「戦い」(싸움) のナンバーの後に《紅》が《超》に言う台詞です。

 この世に生を享けた証として世界に爪痕を残したい。思春期を経験した人であれば一度くらいは感じたことがあるんじゃないかと思うこの焦燥感。イサンのように「天才になりたい」とまで強く焦がれることまではなくても、自分の生に意味を見出したいと思うのは人間の性、業のようなものだと思っています。

 《超》のような理想の自分を思い描いてそれに届かないと足掻き苦しむ。なりたい自分と現実の自分のギャップに折り合いをつけるために、日々を生きていくために諦めてしまった夢や蓋をした感情、想い。かつては手放すまいと大事に大事に抱え込んでいた宝物たち。あるいは持て余していながらも手放せずにいた怒りや悲しみ。《紅》が《海》に語った物語の中では子供が捨ててしまった「袋」、その中に詰められた様々な想いが《紅》の正体なんだな、と改めて今回の公演を観て思いました。

얼마나 먼 길을 가야
나는 내 꿈에 다다를까
どれだけ遠い道を行けば
私は私の夢に届くのか

내가 나로 사는게 몹시도 외로워
私が私として生きるのがとても寂しい

 理想を実現するための孤独な戦いに疲れて絶望し、大切に抱えていた宝物を感情を手放し、すべてを理想の自分に押し付けて自身の殻に閉じ籠ろうとした《海》。だけど、「鏡の中の理想の自分」である《超》もイサン自身に違いなく、理想を実現するためには踠き苦しむしかなく、さらに「理想」を体現する彼は《紅》なしにその存在を保つことができない。《超》はそう言う意味で、イサンが「鏡の中の自分に見出した理想の自分」というだけではなく、彼が周囲の人に「このように見られたい」と思って作り上げた対外的なペルソナなのかもしれません。(ユング心理学的な解釈をすると《海》あるいは《超》がイサンの影で《紅》はイサンのアニマ2という捉え方もできるかもしれませんが、心理学の専門家でもなんでもない私が書くと話がややこしくなりそうなのでこの話はこれくらいで)人生に絶望し、自ら命を絶つためにはその絶望の原因となった《紅》と対峙しないといけないけど、《紅》はイサンが大切に抱えていた希望でもあるため、それ故に踏みとどまっている。

 異国の詩人の心理劇として展開されていく『スモーク』ですが、これは何も詩人や芸術家だけに当てはまるお話ではなくて、夢を抱いたことのある人ならば何かしら共感ができるような葛藤のお話で。自分の母国語で、詩人「イサン」に対するイメージがニュートラルな人たちがこの作品を演じるのを観ることによって、この作品の世界観の普遍的な部分や自分の中に感じるイサンと自分の共通点がより浮き彫りになって感じられるようになった気がします。

알아듣던 못 알아들던
그게 우리 갈 길이고 우리 글이라면
우리라도 있는 그대로 사랑해주자
理解されようとも理解されなくても
それが私たちの文章なら
私たちでもありのままに愛してあげよう

 葛藤の末、命の灯火が消えかかろうとしている中で再び向き合い、絶望と希望、理想と現実の自分をそれぞれ両方抱きしめて生きていこうと決めたイサン。いつかは空に溶けていく煙だとしても。煙になれば、逆にこの世界から飛び立てるのかもしれない。《超》、《海》、《紅》の歌声が調和し、

유쾌하게 웃는거야
유쾌하게 웃자
愉快に笑うんだ
愉快に笑おう

と歌い、

날자!
飛ぼう!

という力強いメロディで締めくくられるラスト。とても明るい終わり方にも関わらず泣けてくるのは、観ている私自身も自分の理想と現実のギャップに悩みながら生きていてイサンの姿に自分自身を重ね合わせてしまう部分があるから。もう一度勇気を出して、自分自身や普段自分が無意識に蓋をしていることに向き合ってみようか。『スモーク』はそんなことを考えさせられる作品であり、だからこそ海を渡ることができたのだと思います。

[2019.8.3 追記]

 昨日、浅草九劇でミュージカル『スモーク』を改めて観て、上で書いたような一歩引いた俯瞰した視点でこの作品を観れたのは東京芸術劇場の演出、劇場、キャストならではだったのだなぁと改めて感じました。根底に流れる部分は確かに共通しているのですが、間違い無く手を伸ばしたら触れられる距離で展開される演技に空間ごと飲み込まれていく九劇の『スモーク』と東京芸術劇場の『スモーク』はあまりにも違う。なので、これはコラムとして書きましたが、東京芸術劇場の大人『スモーク』観劇レポと言っても差し支えないなと思い、カテゴリ追加しました。


  1. 割と細かいこだわりですが、李箱のハングル表記「이상」は「理想」、「異常」と全く同じ読みで表記。なので、李箱をカタカナ表記するときは「イ・サン」ではなく「イサン」と表記したい派です。

  2. ユング心理学においては男性の無意識にある女性的な傾向