ライフ&キャリアの制作現場

くらし、仕事、生き方のリセット、リメイク、リスタートのヒントになるような、なるべく本音でリアルな話にしたいと思います。

129.「専門家」?

2020-05-02 16:27:12 | 時代 世の中 人生いろいろ
 前回のブログ投稿(128.静観)から二か月が経った。先日、ネットニュースを見ていて、胸に響いた記事があった。(以下、引用)
『ーこの新しい未知のウイルスに、本当の専門家がいません。本当は誰もわからないのです。過去の類似のウイルスの経験のみですべてを語ろうとする危うさがあります。そして専門家でもないコメンテーターが、まるでエンターテインメントのように同じような主張を繰り返しているテレビ報道があります。(中略)実際の診療現場の実情に即した意見かどうかがとても重要です。正しい考えが、市民や県民に反映されないと不安だけが広まってしまいます。危機感だけあおり、感情的に的外れのお話を展開しているその時に、国籍を持たず、国境を持たないウイルスは密やかに感染を拡大しているのです。(つづく)ー』
(神奈川県医師会 かながわコロナ通信 「ごまかされないで、まちがった情報に」 4月10日  )

 この数か月、専門家とか識者とか言われる連中が、テレビでネットでSNSでやかましい。胡散臭い情報や煽るだけのニュースは見聞きしないようにしているが、自らの意見や見解のみが正義や正論であるかのように、無責任な発言をする売名目的?の「専門家」にはうんざりする。もちろん、全てがそうだというわけでない。事実に向き合い、現場を熟知し、専門分野の見識と経験を駆使して懸命に責任を果たそうとしている専門家も少なくないだろう。だが、そういう方々の多くは、上記の記事の続きを読むと、テレビに頻出したりSNSに寄稿している暇など無いという。もっともだと思う。

 情報発信する側は情報の多様性とか報道の自由とかもっともらしい事を言うが、こうなると受け手の方が冷静かつ賢くなる必要がある。情報入手の拠り所をなるべく信頼できるところに絞り、その情報は今の自分にとって必要か?と落ち着いて考えてみる。そもそも、「専門家」の言うことが常に正しいわけではなく、良くも悪くも「専門バカ」も多くて、他分野や世間や社会、人の心に疎い者がいると思った方が良さそうだ。あえて皮肉を込めて言うと、事態の推移や結果を見てから、「私の言ったとおりだ」と手柄の様に言うことも、「想定外だった。」と言い逃れすることもできるのだ。

 自分自身も「専門家」と見られることがある。微力ながら、生活設計や仕事に関するコンサルティングを業とする面があるからだ。そう考えると、これから多くの人のライフスタイルや働き方に対する価値観が変わって行く中で、自分自身の見識、仕事に対する姿勢や責任、「専門家」としての自覚を問われることも増える。

 振り返ってみると、昨年の今頃は、「老後2000万円問題」というトピックスがあった。当時、「老後破綻」とか「老後2000万円なくて大丈夫?」と言った、不安をあおる上から目線のセミナーに対して、私は違和感を感じていたので、そのような講師はしなかった。人のライフスタイルや価値観は様々で、暮らしや仕事にも、地域差やそれぞれの事情もある。にもかかわらず、人や現場に丁寧に向き合わずに、ステレオタイプの幸福感や受け売りの情報をもとに、顧客本位とは言い難い不要不急の金融商品の販売をした者もいたようだから、一線を画したかった。やはり、上記のような「専門家」を他山の石としたいと思う。

 今思うこと。現場感覚、人に対する共感力や想像力、わかりやすく丁寧な説明力などを磨きながら、格好つけづに、謙虚なコンサルティングを目指す「専門家」でありたいと思う。オンラインセミナーも否定はしないが、コンサルティングやセミナーはやはりライブでやりたいと思う。相手や参加者の視線や反応、場の空気を五感で感じることはAIにはできないだろう。人間のやる仕事だから、しんどいこともあるがやりがいもある。だから、早くできることから前に進みたい。多くの人も私も、くらしや仕事を守らないと、生きがいも命も守れないから。
 

 

コメント    この記事についてブログを書く
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 128.静観 | トップ | 130.情報の“三密” »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

時代 世の中 人生いろいろ」カテゴリの最新記事