ヒメとは火女であり、火に仕える女が由来であるとする説が、一部に於いてかなり以前から行われている。
古人にとって、なるほど火とは容易に消すことを赦されぬ、末永く保存されねばならない真に尊貴な現象だった。それはなにも宗教的な意味に限らず、実生活の便利を図った面とて大きい。
いやはや、マッチ出現以前に於ける着火の手間に思いを馳せればどうであろう。ただただ「煩雑」の一言に尽きる。
いちいち煮炊きのたびごとに、火打石を鉄片で叩いて火口をいそいそと取り出して、火花を受けとめフーフー息を吹き込んで――などとやっていては時間がかかって仕方ないのだ。手間は、面倒は、能う限り省くべきであったろう。
厄介な着火の工程を繰り返し踏まずに済むように、例えば赤熱化した炭に灰をかぶせて
そのようにして十年、二十年と守っていると、いつしかその火を崇めたくなる気持ちというのが自然じねんと湧いてくる。ことによると火こそが家の主であり、魂と看做すようになってくる。万一不注意で絶やそうものなら大変だ、家主は前途に奈落を見出したような恐怖に駆られ、すわ没落の前触れかと泡を喰い、とても穏やかではいられない。
火の守りは実に家の一大事であり、そしてこの大任は、女性の手にこそ委ねられる場合というのが多かった。
私は肥前国小城郡筋原で、一老婦が真夏にも、爐の火を絶やさぬため、日中幾度も、そして夜寝る前には、特にイケ木をつぎたす事を娘にしつけ、若し怠ると、たしなみがない、お嫁にする人がない、と言っては叱ってゐるのを屡々聞いた。要するに、一般には、囲爐又や竈に、しかしある所では、特別な火爐を設けて火をたやさず、維持することを幸福と考へ、その違背に対して、種々の不祥不吉を信じてゐた事が分る。(昭和十八年、田村栄太郎著『日本工業文化史』168頁)
維新前夜あたりまで、「不断の聖火」はべつに高野山奥之院に限らず、日本全国津々浦々の民家の囲炉裏に容易に見出せるものだった。
紀伊国日高郡産湯という在所には応神帝の御代以来、一度も絶えたことのない浄火というのが存在していて、この集落で用いられる火は悉くこの親火から分け与えられたものであり、住民たちはもう何代もみずから火を熾したことがなかったという。
応神帝といえば人皇第十五代、三世紀ごろの人物だ。
もし伝承が正しければ、この炎は高野山のそれよりも遥かに古い。
どこどこまでも途切れることなく輝き続ける火継ぎの業、その営みを前にして、『ダークソウル』の世界観を彷彿とするのは私だけではないだろう。勢い、あの世界の祈りの言葉でも捧げたくなる――炎の導きのあらんことを、と。
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