座談会御書講義

座談会御書「崇峻天皇御書」講義(2019年8月度)

一代の肝心は法華経・法華経の修業の肝心は不軽品にて候なり、不軽菩薩の人を敬いしは・いかなる事ぞ 教主釈尊の出世の本懐は人の振舞にて候けるぞ

釈尊が生涯に説いた教えの肝要は法華経であり、法華経の修業の肝要は不軽品である。不軽菩薩が人を敬ったことには、どのような意味があるのだろうか。教主釈尊の出世の本懐は、人の振る舞いを示すことにあったのである。

背景と大意

今回、みなさんと学んでまいります崇峻天皇御書は、身延から鎌倉の四条金吾に与えられた御書です。題号となっている崇峻天皇とは、軽率な言動のために身を滅ぼしてしまった天皇のことで、本抄の中で四条金吾の短気を戒めるために崇峻天皇の例を引かれているからです。

また、別名を「三種財宝御書」といいます。ここでいう三種の財宝というのは、「蔵の財よりも身の財すぐれたり身の財より心の財第一なり」という有名な一説の部分で、財産よりも地位や名誉よりも心の財が一番大切だと四条金吾に教えられた御書でもあります。

当時の四条金吾は、苦境の真っただ中にありました。

金吾は主君である江間氏を折伏し、それをきっかけとして、主君が金吾を遠ざけるようになります。以来、同僚たちから陰口をたたかれたりして、今風に言えば“ボッチ”扱いになります。とはいえ、命さえ狙われていますので、単なる“いじられキャラ”ではすまされません。

ある時、大聖人の門下が極楽寺良観の息のかかった天台宗の坊主をさんざん論破したら、相手から「四条金吾が武器を持って暴れまわったんやでー」というフェイクニュースを拡散されてしまい、その炎上したデマを信じてしまった主君からは“法華経を捨てないなら、所領を没収する”と迫られる始末。

所領没収とは、要するに収入源を断たれることですから、一家存亡の危機です。そこでも金吾は迷うことなく信心を選びます。

すると、わずか数か月の間に主君が重い病気にかかり、医術の心得のあった金吾はその治療に当たることになりました。まさに、主君からの信頼を取り戻す大チャンスです。しかしそれと同時に、金吾が周囲から一層妬まれ、身の危険にさらされる心配があります。

そこで大聖人は、心を引き締め、身を慎むよう、また、軽率な行動を取らないようにと金吾を戒められています。その指導の内容はとても具体的で、常に一人になってはいけないとか、交流を深めるべき人は誰と誰かとか、主君の家での振る舞い方、服装の色柄まで指示されています。

さらに本抄で大聖人は、「短気な人を諸天は護らないと知りなさい」「それでもあなたは短気だから私の言うことを聞かないでしょう」と四条金吾の短気を何度も指摘します。

その一方で四条金吾への暖かい慈愛のお言葉も記されています。その部分の現代語訳を紹介します。

「返す返す今も忘れられぬ事は、竜口で日蓮が首を切られようとした時、あなたが私の供をし、馬の口にとりついて、泣き悲しまれたことである。これはいかなる世にも忘れることはできない。もし、あなたの罪が深くて地獄に堕ちるようなことがあれば、日蓮よ仏になれと、どんなに釈迦仏がいざなわれようとも、従うことはないであろう。あなたといっしょに地獄へ入ろう」

大聖人の金吾に対する思いが伝わってくる記述です。またさらに「日蓮とあなたが共に地獄に入るならば、釈迦仏も法華経も必ずや地獄におられるにちがいない」と、成仏の絶対のご確信を述べられています。

そして、大聖人は最後に、軽はずみな言動で身を滅ぼした崇峻天皇の例を示されて、「人としていかに振る舞うか」がどれほど大事かということを示されて本抄を締めくくられています。

大胆に一言で本抄全体をまとめますと「同僚の嫉妬が燃え盛っている今、短気を起こさず、忍耐強く、賢明な行動をとりなさい。常に『人としてどう振る舞うか』こそが仏法において一番大切なことなんですよ」という御書です。

解説

「一代の肝心は法華経・法華経の修業の肝心は不軽品にて候なり」とあります。

一代というのは釈迦の50年に及ぶ説法全体を指し、釈迦一代の肝要、すなわちその説法の中で最も大事な部分は「法華経」だと述べられています。

なぜ法華経が数ある教えの中で一番重要なのか。それは法華経だけが唯一、万人成仏を説き明かしているからです。

その、すべての人が成仏できる道を開いた法華経の中で、修業の神髄が示されているのが「不軽品」です。不軽品には、不軽菩薩の修業が説かれており、その実践とは「すべての人に仏性がある」として人々を敬い、礼拝する修業です。

続いて「不軽菩薩の人を敬いしは・いかなる事ぞ」とあります。

不軽菩薩は相手を敬う振る舞いに撤しますが、人々は不軽菩薩に悪口を言って石を投げたり杖で叩いたりしました。不軽菩薩はそうした人々の生命にも仏性があることを知っていたために耐え忍んで礼拝を続けました。

不軽品に示されている、これらの実践・修行は、とりもなおさず、末法の日蓮大聖人の仏法の実践・修行のあり方でもあります。具体的に言えば、会いに行けば塩をまかれ、電話をすればガチャ切りされ、手紙を出せば捨てられる。それでもその人の仏性を信じて敬い、幸福を願って関わり続けることで、一人の人間を迷いの闇から救い出すことができる。まさに学会活動です。

「教主釈尊の出世の本懐は人の振舞にて候けるぞ」とあります。

出世の本懐とは、この世に出現した、究極の目的のことです。

釈迦一代の、つまり50年の間説法を続けた釈迦の“究極の目的”はなんだったか。それこそ、どんな相手にも敬う心を持ち続ける「人の振る舞い」を示すことだったと大聖人はおっしゃっているのです。

ピンチに追い込まれていた金吾が、大聖人のご指導の通り「短気を戒め、忍耐強く、賢明な行動をとる」ことは、確かに金吾を窮地から救う行いです。しかし、それはたまたまその状況にあった金吾だけにあてはまるご指導ではなく、実は「すべての人を仏として敬う」という「振る舞い」、それ自体が仏法の極理でもあることを大聖人は示されているのです。

「振る舞い」とは、すなわち行動です。「相手の仏性を信じる」と言っても、実際の行動にあらわれなければ意味がありません。

私たちは行動によって、仏縁を結ぶことができます。そういう意味で、「嫌がるから対話しない」、「どうせ反対するから声をかけない」、というのは無慈悲に通じてしまいます。

決してあきらめず、粘り強く、誠実に、真剣に関わっていくなかで、相手の態度や状況がガラリと変わっていくことは多くの皆さんが体験しているとおりです。

不軽菩薩の「人を敬う」実践の本質は、自分にも他人にも必ず仏性があると信じきることにほかなりません。自他共の仏性を信じる振る舞いに撤することが、現代の私たちの人間革命の修行です。そして、この「人を敬う振る舞い」の実践で現実に一人一人に尽くし、世界中にその輪を拡大してきたのが創価学会です。

池田先生は次のように綴られています。

「仏法は『人の振る舞い』の中にあります。『法』は目に見えない。しかし、『人の振る舞い』を通して見ることはできる。仏法を行ずる人間の行動の中にこそ、確実に『法の真価』が発揮されているからです。ゆえに、仏法の実践にあって、『人の振る舞い』を根本とすることは、一切の肝要となります」

まとめ

さあ、我々は仏縁を大切に、一人一人のメンバー、一人一人の友人と、尊敬と信頼と励ましの連帯を築くべく、唱題を根本に、いよいよ学会活動、なかんずく折伏行に励んでまいりたいと思います。

池田先生は、「不軽菩薩の『人を敬う』実践というのは、実は折伏と同じです」とつづられています。明年の池田先生の会長就任60周年、学会創立90周年を私自身が生涯忘れられない日にできるよう、「人を敬う」実践で折伏に挑戦してまいる決意です。

11.18世界聖教会館の完成まであと2ヶ月と少し。まだまだ暑い日が続きますが、この秋にこそ、どこまでも誠実な振る舞いに撤し、自他共の幸福のために、「唱題の秋」「対話の秋」「聖教拡大の秋」を朗らかに前進してまいりましょう。

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