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こんばんは。

 

寒さが一気に来ましたね。

こちら北陸は当たり前やけど寒いです。

 

 

今日は久々にインテリア以外の雑談だけですが、いいですか。

 

そう簡単な道のりではなかった この20年を書くにあたって、うちは できちゃった婚なので記事の冒頭では、望まなかった妊娠という話が出てきます。

 

いろんな人がそれぞれの人生をそれぞれの価値観で生きている社会なので、望まなかった妊娠という話に傷つかれる方もおられるかと思います。

 

なので、そういった方は大変申し訳ないですが、この先を読むのは控えて頂けますと幸いです。

 

 

今月は結婚記念日がありまして。

 

結婚20年目でした。

 

20年前の今頃は、お腹にJD(女子大生の長女)がいました。

 

 

父ちゃん(主人)とは同じ大学で、サッカー部の先輩とマネージャーっていう よくあるパターンで付き合い始めたんやけど、父ちゃんは2個上やったから先に就職して、私も2年後には大学を卒業して、まあそこそこ大きな会社にも就職して。

 

で、新人研修もまだ終わってないような社会人になりたての6月。勤務歴がまだ2か月ちょいくらいの浅い時にJDがお腹にいることが分かったんやわ。

 

父ちゃんも私も、いずれは結婚するやろなとは思ってたから、おろすっていう選択肢は二人には無かったけど、それでも当時の父ちゃんと私はあまりにも未熟でした。なにもかもが。

 

 

なんの覚悟もないまま、時の流れのままに お腹が大きくなって籍を入れて結婚生活が始まって、そしてJDが産まれて子育てが始まりました。

 

全っ然 有名大学でもなんでも無いんやけど就職先には強い大学やったから父ちゃんもそうやけど、父ちゃんの友人も私の友人もみんな一流企業に就職してて、まだ周囲では誰も結婚してなかった。

 

(多分ブログ4年間の中で最も反響の大きかった話で未だに語り継がれてる、センター試験の話は👉こちらから・DIYネタの後半に雑談として書いてあります)

(国公立大・後期試験・倍率32倍・滑り止めなしの絶対絶命から奇跡的に這い上がった大学受験の話は👉こちらから・DIYネタの後半に雑談として書いてあります)

 

 

だからJDが産まれたのは友人らにしてみれば真新しいことやったから、たくさんの友人が家にお祝いに来てくれました。けど友人らが集まってくれる時はどうしても仕事の話で盛り上がるわけで。みんな初々しい社会人ばっかやから。

 

JDを抱きかかえて途中で授乳したり 泣くJDをあやしたりしながら、友人らの社会人あるあるを聞いてたら、例えようのない孤独感が突き上げてきて。

 

『今度海外でプレゼンがあるからプレッシャー』

『会社の飲み会って飲まされるからキツいよね』

『出張で〇〇に行った時さあ』

 

どれも私には分からん話ばっかりでした。

 

友人らが帰ったあとに私の腕の中で泣くJDを見ながら涙がこぼれ落ちる。

 

『なんで私ばっかりこんな目に…』

 

当時の私は、結婚した自覚も母親としての自覚も嫁としての自覚も妻としての自覚も、なにもかもが無かった。とにかく人としても母親としても嫁としても全てにおいて、あまりにも未熟過ぎた

 

JDを身籠ったことは完全に自己責任であってJDのせいではない。

 

そんなことすら分からんような ほんまに全てにおいて未熟としか言いようがない、どうしようもない母親で、どうしようもない妻やった。

 

そしてそれは父ちゃんも同じでした。

 

私は22歳、父ちゃんは24歳。父ちゃんは私より2年先に就職して社会人として やってはいたけど、2年なんてそんなもん全然まだまだで。一家の主だとか父親としてとか夫としてとか、そんな自覚は当時の父ちゃんには一個も無かった。

 

実際、JDが小学校高学年になるまで学校行事は1度も出たことがないくらい育児に興味のない人やったんやわ。育児にっていうか、子供に。子供にっていうか、家族そのものに対して なんの愛着も執着も無かった。

 

だから一般的に言うところの、男が嫁を泣かす悪さという悪さはとりあえず一通り全部やりちぎった。一通り全部、が1ラウンドで済めばいけど、2ラウンド3ラウンドと容赦なく。それこそ日本三大花火か、ぐらいのペースとド派手さでドッカンドッカンやらかして。

 

かたや私は家庭を守るために必死だったかと言えば、当時はほんまに全っ然で。

 

父ちゃんがヤラかすたびに家出やわ。もう家出が恒例行事みたいになってしまってた。しかもJDを連れて出ていくんじゃなくて、JDほっぽり出して、それどこ泊まっとんみたいな(どこかは言えんな)(若気の至りです ご了承ください)(←)、ドあほうなことをしては、親兄弟から親戚から友人らまで これでもかってくらいに迷惑かけ散らかして、ほんまに目も当てれんほど どうしようもない二人やったんやわ。

 

 

もうこれでほんまに終わったなっていう場面は山ほどあったし、よお新聞に載らずに済んだなってことも数えきれんほど。

 

 

けどJDが今のJS(小3の次女)ぐらいになったあたりから、ようやく遅すぎやけど母親とか嫁とか妻とかそういう自覚が出てきて、この家をなんとかせな、てハッとした。

 

それまでは二人して

『あんたのせいで』

『お前のせいで』

『あたしはこんなにやってるのに』

『俺はこんなに我慢してる』

ていう、まさに犬も喰わんような喧嘩が絶えんかってんけど、ある時、気づいたんやわ。

 

亭主を上げるも下げるも嫁次第、ていうことに。

 

『あんたのせいで』『お前のせいで』を言い合ってる間は絶対上手くいかん。けど、父ちゃんのお陰でと言えば、お前のお陰やと返ってくる

 

そんな簡単なことに気づくまでに情けないけど10年近くかかってしまいました。

 

 

それからは、まあちょいちょい喧嘩を挟みながらも、父ちゃんのお陰で、お前のお陰や、っていう掛け合いが自然とできるようになってきて、今となっては喧嘩と呼べるほどの喧嘩なんて よおせんようになりました。

 

ここに至るまでがほんまに長かった。

 

 

若き日の父ちゃんがヤラかした借金が一般家庭レベルにしては なかなかなデカさやったから、まずは借金を返すことに全力を注いだ。

 

それまでは借金の話になると大喧嘩やってんけど『喧嘩してても借金は減らない。亭主の借金は一家の借金。』て腹を決めてからは、とにかく昼も夜も懸命に働いた。父ちゃんも同じく、昼も夜も倒れる寸前まで働いた。

 

だから借金が完済してペナルティー期間が終わって(サラっとペナルティー期間とか書いてしまったけど、そういうことです、お察し下さい)、家を建てるローンの審査が通った時は、結婚して初めて父ちゃんの男泣きを見た。『苦労かけてごめん』って言いながら私を抱きしめて泣いてたなー。

 

苦労したのは私だけじゃない。父ちゃんも同じくらい私には散々苦労させられてきた。お互い様や。

 

 

今では父ちゃんに至ってはこれでもかってくらいに娘たちに入れ込んでるから、そんな父ちゃんを見るたびに、この家を諦めんで良かったとほんまにそう思う。

 

父ちゃんが入れ込んでるのは娘たちだけじゃなくて私に対しても。

 

あ、いや、惚れた腫れたのほうじゃなくて、家族として、のほうで。惚れた腫れたはとうに終わってるもんで。←

 

 

 

私は今の こういう活動をするにあたって、ここの読者の皆さんを一番大事にしてる節が未だにありまして。

 

それはブログを書き始めた頃から全く変わってない方針で。

 

SNSでも発信してるからそこでもたくさんの方に応援して頂いてるんやけど、SNSって見る時間がそもそも短いし、なんて言うの、垂れ流しっていうか、なんやったらSNSってそこまできちんと見ずにピュンピュンと画面をスクロールさせて見ることができてしまう簡易なツールやんか。

 

けどブログって『読もう』と思ってわざわざここを開いて読まないといけない。

 

そうなると後者のほうが圧倒的に応援度数が高いと感じてしまうっていうか、いやもちろんSNSだけを応援して下さってる方もほんまに有難いしブログ派、SNS派、どっちが良いとか悪いとか、そういうことでは全然ないんやけど、

 

でもわざわざここを開いて時間を割いて読んで下さってる皆さんにはやっぱり特別な思い入れや感謝の念があります。

 

 

なので皆さんの応援度数を、例えば山で言うとするなら富士山。日本一高い山。

 

一方で、エベレストぐらい応援してくれてる人が一人だけ居まして。

 

 

父ちゃん。

 

ブログを書くことに関しては、もう とっくの昔から時間も体力も限界をとうに超えてるんやけど、それでも書き続けてる理由は、どこまで頑張れるか自分で試したいっていうのがあって。いつも敵は自分です。弱い自分にどこまで勝てるか。もちろん読者の皆さんが居て下さるからというのは大前提やとして、それ以外の理由はそこです。

 

だから睡眠を削って書くことなんてザラで、そうなるとパソコンの前で寝潰れることもしょっちゅうなんやけど、夜中に目が覚めると必ず毛布をかけてある。父ちゃんは私より先に寝たはずなのに。いつ起きて、いつ毛布をかけたのか。

 

洗濯機を回したまま寝てしまうことがあっても、朝には干してある。ヨレヨレな干し方で。いつ起きて干したか聞いても昭和男子な父ちゃんは『忘れた』としか言わない。

 

 

 

で、話はちょっと変わるけど、私はブランドものとか高い化粧品とかアクセサリーとか、そういうものに対して物欲が全く無いタイプなんやけど、1個だけ、人から貰って強烈に嬉しいものがあって。

 

それは花束。

 

花束って自分では買えんやん。いや買えるけど自分で自分に花束を買っても虚しいやんか。だから花束を貰う場面があった時は、ほんまにめちゃめちゃ嬉しくて。

 

前の会社を辞めたのが10年前くらいかなあ。退社する時に花束を貰って以来、10年ほど花束なんて貰ってなかったから、普段の会話でも『花束欲しいなあ』って ずっと言うてて。

 

けど昭和男子な父ちゃんは『花束なんて恥ずかしくてよお買えん』て ずっと言うてて。

 

 

で、結婚記念日も ここ10年ほどは特になんもしてなくて、私に至っては結婚記念日はほぼ100パー忘れてしまってることが多くて。

 

仕事帰りに父ちゃんがコンビニスイーツを買ってきてくれた時のこと。

『ありがと』

父ちゃん『お前忘れてるやろ』

『なにが』

父ちゃん『今日結婚記念日な』

(思い出してハッとする)『覚えてるに決まってるやんかー(←)』

父ちゃん『忘れてました感満載な顔よ』

『さーせん』

みたいな。

 

そんな感じで結婚記念日っていうものに対して、特に私あたりは全然こだわってなかったんやわ。

 

 

 

そんな20年目の結婚記念日の日

 

私は仕事の案件が立て込んでたから朝からいろいろバタバタしてて。で、お昼ごろにピンポーンてインターフォンが鳴って、ドアを開けたら花束を持った宅配員の方がドア前に立ってました。

 

 

花束を見た瞬間『あ、今日結婚記念日や』って気づいて、気づくと同時に声をあげて噴水みたいに泣きました。これまでの20年が走馬灯のように頭をよぎって

 

花束はあんなにイヤやって言ってた人なのに、どこでどうやって頼んだのか。それがまた拍車をかけて泣いたなー。

 

私があんまりにも嗚咽して泣くもんやから配達員の方はびっくりしながらも『素敵な旦那様と奥様ですね。』と。

 

 

 

私にとって この花束は

 

これまでの人生の中で間違いなく最も心を動かされた花束になりました。

 

 

 

父ちゃんは、なんの取柄もない ふつーの人やけど、仕事の愚痴は20年間一度も聞いたことがない。朝6時には家を出て帰ってくるのは夜10時過ぎ。あきらか疲れた顔して帰ってくるけど『疲れた』っていうのも20年間一度も聞いたことがない

 

疲れたとか しんどいとかを絶対に言わない人で。

 

 

『仕事疲れたって絶対言わんね』って聞くと

『言うてどうするん。男の仕事は疲れて当たり前やろ。』て言う。

 

 

そんな会話の中で、ある時父ちゃんが言った言葉。

 

『俺はカネのために やりたくもない仕事をやる。だからお前はカネ以外のために志を貫け。DIYで地方再生したいんやろ。お前ならできる。』

 

 

DIYで地方再生なんてデッカイことを、お前ならできると簡単にアホみたいに言うなんて、さすが応援度数エベレストなだけあるわ。

 

と思いながらも、心には刺さりました。

 

 

 

私の好きな言葉の中に【倒れたら起こすのが友情、共に倒れるのが愛情】ていうのがあって。

 

つらい時、苦しい時、選択を誤った時、大きな問題を起こした時、生きているとその都度いろんな試練の場に出くわすけど、そんな時って、励ましてくれる人やアドバイスしてくれる人、叱ってくれる人、1歩、外の社会に出れば、そういった人はたくさん居てくれる。

 

でも、自分が倒れた時に自分と同じように倒れてくれる人って、なかなか居ないもので。

 

そんな中で父ちゃんだけは、私が倒れた時は共に倒れてくれる人なんやわ。アドバイスをしたり励ましたり叱ったりは絶対しない。

 

 

『その時のお前が その時点で 精一杯考えた上で取った行動やろうから俺がとやかく言うことは何もない。お前が手を抜かずにやることなんて絶対ないから。』と。

 

仮に私があきらかに間違っていたとしても、ただ黙って静観してくれる。『お前なら自分の間違いに自分で気づいて次に進めるはずやから俺が言うことは何もない』と。

 

 

 

あとは こんなこともありました。

 

これまでにイベントとかプロデュースとか色んな案件に携わらせて頂いたんやけど、過去に1度だけ、完全ノーギャラで終わってしまった案件があって。それに関しては半年ほどの長い準備期間を家族らが総出で協力してくれた案件やっただけに、ノーギャラが決まった時は再起不能になりそうなほど失意に落ちてしまって

 

その案件を盛況で終わらせるために、父ちゃんにどれほどの協力をしてもらったことか。それを思うと、もう父ちゃんに申し訳なくて申し訳なくて

 

 

『ごめん、ノーギャラになってしまった』と報告した時の父ちゃん。

 

『カネはいいよ。それよりお前が心配や。』と言ってくれる、そんなあなたの伴侶でいられることに、ただただ感謝し、あなたを心から誇りに思います。

 

 

 

 

端材を3枚ほどロープでつなぎ合わせたような、見るからに今にも転覆しそうなイカダから始まった結婚生活。

 

まだ大海の怖さを何も知らない無知で未熟過ぎた二人は何度も転覆してその度にイカダを起こして修繕しながら少しずつ進みました。時には容赦なく雨風にさらされたり ひどい嵐に遭ったり。

 

そして気がつけば今では、どんな嵐が来ても絶対に転覆しないような揺るぎない大きな船になりました。

 

 

 

 

自分の親よりも子供よりも長い時間を父ちゃんと過ごしてきて、父ちゃんを選んだ私の目は間違ってなかったと心からそう思います。

 

 

私を選んでくれて本当にありがとう。

 

 

 

あなたと共に歩いた20年は

 

私の人生、そのものです。

 

 

 

 

今日も最後まで読んで頂きまして

本当にありがとうございました。

 

 

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