認知症ににも陰陽がある、ということを日々もどかしい思いで痛感させられている。
昨日、介護計画の見直しのミーティングがあった。ちょうど一年くらい前にも同様の集まりがあり、その当時の父の状態を思い返せば、ずいぶんと認知症が進んだなあと改めて思わされる。
認知症への道を次第次第に進んでいっている父に日々接していて思うことは、本人の思いとは別に、自ら進んでの、なのだなあということである。
詳細は改めて書きたいが、認知症にも衰えていってのものと自ら進んでなっていくものとの陰陽(二重性)があるのだ!と実感させられている。
そして、自ら進んでなっていく認知症こそが大問題である、なんとか止めることが出来るかもしれないものである、と思える。
それは、一面で、喘息の過程的構造と同じ論理を持つのでは、と思える。