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ペシャワールの会の中村医師が殺された。

2019-12-07 04:56:18 | Peace Cafe



 「ペシャワール会」現地代表、中村哲医師(73)が銃撃されて死亡するテロ事件が起きてしまった。最も尊敬していた方だ。あってはならないことが起きてしまった。中村氏を狙ってのテロ攻撃らしい。衝撃的事件だ。これほどの平和主義者を殺さなければならない理由がどこにあるというのだ。

 イスラムのテロ組織はでたらめな暴徒に過ぎない。全く愚かである。こんなことをして、自己正当化できることがあるのだろうか。中村氏は食糧危機に対して、灌漑設備を作る活動をしてきた。医療支援でアフガニスタンに行き、医療の前に食糧が作れなければと水路を引くことを始めたひとだ。

都市化によるアジア的伝統社会の崩壊、欧米型国家モデルの矛盾、貧富の拡大、地球温暖化による砂漠化、イスラム世界の再編、そしてこれらによる膨大な人々の犠牲である。実にアフガンにおいて、10年後の混乱、アフガン空爆、イラク侵略など「対テロ戦争」という名の国際社会の暴力化は、あらわな形で先取りされていた。それまでの戦は意味を失い、信ずべき「正義」は死んだ。---中村哲

 ペシャワールの会の講演会を聞いたことがあった。ペシャワールの会は中村氏の活動を支えるためにできた組織だ。小田原の久野でも後援会があった。農文協の地域担当の方はペシャワールの会で活動をされていた方だ。

 尊い尊い無償の行為である。金儲けの何が悪いなどと居直っている人間は、中村さんの命に対する奉仕の心から学んでもらいたいものだ。中村氏は殺されたが、やり尽くされたと思う。ご冥福を心よりお祈りする。この行為をアフガニスタンの人が、引き継いでくれることを願うばかりだ。

 ペシャワールの会のホームページに「自給自足の農村回復」を掲げ、マルワリード用水路最終地点のガンベリ試験農場にて穀類、野菜、果樹の栽培や畜産などを行っている。と出ている。パキスタンのペシャワールに拠点を置き、アフガニスタンに出かけて、活動を行う形である。

 中村氏は継続の段階に入っていた。72歳である。どうやって現地での活動が継続されて、成果を生み出せるかを模索していた。現地の人の技術的訓練などを日本で行っていた。日本政府はペシャワールの会の活動を見ているだけだった。

 日本でも同じことが起きていると、私は考えてきた。そしてあしがら農の会を続けてきた。農業を失う国は亡びる。アフガニスタンは長い戦争で、農業環境が失われた。気候変動もあるのだろうが、かつて農村地帯であった場所が、砂漠化してしまったのだ。農業を続けることで、農地が回復し、維持されてゆく形の農業がある。

 中村さんの遺志を受け継ぐことは、世界の何処にいても出来るのだと思う。食糧を自給するという事の大切さである。平和の礎となる農業。確かに今の日本は食糧がないというようなことはない。しかし、農業は失われ始めている。農地は失われ始めている。

 日本の農地はは産業の変化で失われようとしている。日本でも「自給自足の農村回復」をしなければならないと考えてきた。産業として農業が不可能になっているのであれば、産業ではない農業を作り出さなければならない。

 お金以外の価値を認めない社会である以上、お金に関係のないところでの農地の維持を考えなければならない。そう考えて、あしがら農の会を始めた。それは中村さんに比べれば、実に生温いような活動ではある。

 しかし、この生温いかまゆで状態もなかなか手ごわい。静かな見えない崩壊がじわじわと進む。一年経つと着実に農地は減少する。いつの間にか、農地どころか集落そのものが消えてゆく社会になった。都市に人間が集中してゆく。食糧生産から、人間の暮らしが遠のいてゆく。これは人間というものが弱体化する原因になっている。

 食糧生産から離れた人間。身体を使う事から距離を置く人間。肉体労働のできなくなる人間。自然から離れて人間は存在しない。人間らしい感性を失う人間。緑の植物を見て嘔吐をもよおす人間。足元を失う人間。何が大切なものかを見失う人間。

 殺されてしまった中村医師のことを再び考える。この絶望感は何をやっても無駄なのかとさえ思えてくる。何故、イスラムのテロ組織に中村氏の心が伝わらなかったのか。すべてに空しくなる。あの暖かな心を何故理解できない人間がいるのだ。

 タリバンがバーミヤンの石仏群を破壊したときに、このテロ組織は許しがたいものだと思った。最悪の暴力集団だと思えた。人間の心を持たない、狂気の集団化している。玄奘が仏法の教えを求めて訊ねた聖地バーミヤンである。今度は聖人中村氏の殺害である。こうした人間の狂気に対して、どう立ち向かえばいいのだろうか。立ち尽くす。

 人間の心をこれほどの悪魔にした原因は、ソビエトのアフガン侵攻にある。結局のところ破壊以外に何も残せず、ソビエトは撤退する。そしてソビエトも滅びた。誇りを踏みにじられたアフガニスタンには復讐の思いだけが育ってしまった。武力など何も解決が出来ない。

 復讐の連鎖である。攻撃したソビエト人の中には、無意味な殺りくに心の痛手を受けた人が沢山いるという。中村氏は農地を回復することで、アフガニスタンに人間の心を再生しようとしたのではないか。武力ではなく、平和の試み以外に恨みをいやすことはできないと考えたのだろう。

今私たちが問うべきは、「何をすべきか」ではなく、「何をすべきでないか」である。破局への不安に駆られて、お手軽な享楽への逃避や、一見権威ある声に欺かれてはならない。人として最低限、何を守り、何を守らなくて良いのか、何を失い、何を失うべきでないのか、静かに問うべき時だと思われる。敵は自分の内にある。これが、20年の結論である。ーーー中村哲


 香典のつもりで寄付をして、継続を願う事はどうだろうか。
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