刻のエンピツと木の精ポチカ9
みんなのところへ戻ると、ポチカがヘッドライトを頭に巻き付けていて、こちらを向いたときまぶしかった。目元に手をかざすとポチカは顔の向きをずらして、
「見つかった?」
「あったよ」
真琴が差し出す葉っぱを見て、ポチカは何か気づいた風だった。ヘッドライトで葉っぱを照らしてくれる。
「よく見つかったねー。どっか行ってたの? ――あ、なに、食べられてる。まこちゃんどうするの、こんなの」
お母さんはイワナの姿を見て驚いたようだった。真琴はちょっとイワナを自分の身に引き寄せて、
「どうするっていうか、塩焼きにしたい。食べなくてもいいけど、ね、ポチカ」
ポチカに同意を求めると、ポチカも「うん」とうなずいた。真琴は日記帳をポチカに渡してから、ポケットで突き出ていた串を取り出した。
「口から刺せばいいかな」
「まず火をつけよう、ちゃんとつくかどうか分かんないし。真琴も手けがするぞ」
横で聞いていたお父さんが、ライターに火をともした。枯葉に着火するためにお父さんが手を動かすのに合わせて、ライターの火もふわりと揺れる。
自分が何か急いでいるのを感じながら、真琴は火が付くのをしゃがんで見守った。ポチカが隣に来てくれて、膝の上に日記帳と刻のエンピツを抱えている。ヘッドライトのスイッチは切ったので、辺りは暗くなった。
よく乾いた葉はすぐ火が付いたけれど、燃え尽きてしまって、なかなか薪に火が移らない。何度かお父さんが試してみて、ようやく薪の端っこが燃え始めた。
「思い出した、それ下からいっぱい新聞とか燃やすんじゃなかったっけ?」
「確かに、そうだそうだ」
お父さんは燃え始めた薪を抜き出して、そのすき間に枯葉を何枚も詰め込んだ。それから薪の火のついたほうを内側に向けて入れると、だんだんとカゴの中心から火が燃え上がってきた。
「おー、すごい。最初付きにくいけど、一気に来るね」
熱で浮かんでくるカスを顔の前で払って、お父さんは立ち上がった。真琴とポチカも顔が熱くなりそうなので、しゃがんだまま後ずさりして離れた。
勢いを増す炎は、眺めているうちに薪のはるか上まで伸びて見上げるほどの高さになった。赤と黄色の火が交互に混ざり、薪のささくれが反り返ってパチパチという音を立てている。燃え始めの煙の匂いが風に乗って流れていくと、木そのものが焼ける香りが辺りに漂った。
しばらくの間みんな黙って炎を見つめた後で、真琴はイワナのことを思い出して串を刺そうとした。けれど手が滑って、イワナがポチカの足元へ転がってしまった。
ポチカはイワナに気付くと何もいわずに拾って、真琴に手渡してくれた。イワナは炎で身体が赤く輝いて、いま表面にくっついた砂もきらきらしている。
「落としちゃったか? 食べらんないな」
「食べないよ」
真琴はイワナの首を握って、口のなかへ串を刺していった。骨に当たって抵抗があったけれど、自分の手を刺してしまわないように注意しつつ、力を入れて貫いた。
「少し曲げながらだと抜けにくいと思うけど、まあいっか。――あんまり火の近くは焦げちゃうよ。うん、そのくらい」
お母さんがいうのを聞きながら、真琴は火のそばの地面に串を立てた。イワナは金色になって、少しずつ水分を落としながら焼けていく。
キャンプファイヤーの火はおとろえず、真琴達を温かな光で包んだ。空を見上げると、家の近所では見ることができないくらい星がたくさん出ていて、真琴は火の粉が空に散って浮かんでいるようにも思えた。
「まこちゃん、今日楽しかった?」
イワナの向きを裏返して、お母さんがいった。
「うん、まあね。けっこう――」
真琴が口ごもったのを見て、お母さんはイワナの向きをさらに調節する。「もう焼けてきてる」といって、火から遠ざけた。
ふとポチカが真琴の腕をつついた。日記帳と刻のエンピツを真琴に手渡そうとするので、とりあえず受け取ると、裏面の名前の欄が目に入った。『まこと』とぐにゃぐにゃした文字で書いてある上と下に、お父さんとお母さんの文字で『真琴』とお手本が書かれている。
「けど、やっぱりお父さんとお母さんがケンカしてるのは、ヤだな――」
涙が出てきて、真琴は指で目元をぬぐった。
「え、なに?」
お母さんは聞き直したけれど、真琴の涙を見てはっとした顔をした。真琴の近くに来て頭をなでてくれてから、お父さんに向かって、
「ねえ、やっぱり最近、ケンカ多くない? ちゃんと話そうよ。まこちゃんがかわいそう」
「何を」
お父さんもうつむき気味ですぐに返事をした。キャンプファイヤーの火が風に揺れて、顔が明るくなったり影になったりする。真琴はまたはらはらしてきた。
「仕事、大変なの?」
「そんなでもないよ。普通」
「でも絶対怒りっぽいよ、近ごろ。――何かあったならいってよ」
真琴の頭をひとなでして、お母さんはお父さんの横へ行った。代わりにポチカが隣に来てくれて手を差し出した。その手を握ると、真琴は少し緊張がほぐれて、まっすぐにお母さん達の気もちを感じられるような気がした。
「いや、本当に何でもないんだ」
一度肩を硬くした後、自分でもよく分からない、という様子でお父さんは首を振った。
「何でもないんだけど、なんか落ち着かないというか、不安というか……。いや、やっぱりそうでもないよ」
「私達に何も隠すことないんだよ。いってよ」
「隠してないって、自分でも分かんないんだって」
お父さんはキャンプファイヤーから顔をそらして、身体も暗い広場のほうへ向けた。ウインドブレーカーの背中が赤く照らされている。お母さんも顔をちょっとそちらへ向けてから、考え込むように炎を見つめた。
イワナの表面はちりちりに乾いて、ところどころ焦げてきた。動物にかじられた部分は裂け目が広がって、お腹の白い身が現れている。動物も焼いたほうが美味しく感じるのだろうか。
「分かんないなら、なおさら話してくれないと、こっちももっと分かんないよ。ずっとこういう調子でいくつもり?」
「こういうって、そんな何もしてないよ」
「そういうのをいってるの。もやもやしたままで、何となく終わった感じで。――気付いてるよね? まこちゃんが無理してることあるの」
少し見えていたお父さんの横顔が見えなくなった。真琴は急に自分の話になって驚いて、ポチカの手をぎゅっと握った。「別に無理なんかしてない」といおうとしたけれど、ポチカが手を握り返してきたので、喉元で言葉が止まった。
「まこちゃんだけじゃなくて、私だって、やっぱりつらいときはつらいよ。いろいろ考えちゃう」
お母さんの声が震えた。こういうお母さんを見たことがなかったので、真琴も悲しくはないのに泣きそうになってくる。お母さんは深く息を吐いて、呼吸を整えていった。
「ずっとこんなの無理だから、どうするといいか、考えようよ」
もうお母さんの声は元に戻って明るい。でも火に照らされている顔は、真琴から見てもがんばっているのが分かる。
お父さんは返事をせず、薪が焼ける音と虫の声が目立った。火に目が慣れたせいかもしれないけれど、夜のキャンプ場は本当に暗くなってきて、自分達以外に誰もいないように思える。真琴はちらっとロッジのほうを振り返って、オレンジ色の明かりを確認した。
視界の端に何かが見えた気がして、真琴はもう一度振り返った。ポチカも気が付いて一緒に目を凝らすと、人影がこちらへ近づいてくるみたいだ。
「誰か来ます――あ、すぐるくん達だ」
ポチカがふんわりした声でいうと、お父さんもポチカの視線の先を見て、
「ん? 誰だって? ああさっきの。キャンプファイヤーのこと教えたのかな」
お母さんは一瞬真剣な顔をしたけれど、すぐに鼻の奥で小さな咳払いをしてから、イワナを火の届かない位置へ移した。
「ちょっと焦げちゃってる。せっかく釣ったのにね。まこちゃん達のお友達は焼いて食べたりしたの?」
「おーい、こっちだよー」
真琴の手を放してポチカが呼びかけると「見えてるぞー!」という優の声が聞こえて、人影がこちらへ向かって走り出した。近づいてくるうちに、優の姿がはっきりと見えてくる。
「おお、やっぱりすげー。こんにちは、優といいます!」
キャンプファイヤーの光で目を輝かせて、優はお父さんとお母さんに頭を下げた。二人も笑顔で会釈をする。
「釣りのこと、いろいろ教えてくれてありがとうね。この子達もすごく楽しかったみたい」
「いえ、こっちこそ楽しかったです! ポチカ、あの釣ったのどうした?」
いいながら優は火の周りを目で探すと、串に刺したイワナに気付いて真琴とポチカの後ろを通ってイワナのそばへ寄った。
「まだ食べてないの? ――これちょっと焼きすぎ」
「なんか動物がかじったから、食べるのやめた。でもとりあえず焼くだけ焼いてる」
優は「ふーん」といって、次はポチカが頭から外して脇に置いていたヘッドライトに目を止めた。
「これ何? 借りてもいい?」
「どうぞ」
「いいよ」
お母さんとポチカが同時にいった。優はヘッドライトを拾うと、自分の頭にかぶせてスイッチをオンオフした。地面がそのたびに点滅する。
「いいなーこれー」
「おい、優。人様のものを勝手にいじるな。――すみません、うるさいやつで」
父親さん達もキャンプファイヤーの近くまでやってきた。お父さんとお母さんは居ずまいを正して「とんでもないです、先ほどはお世話になりました」と、どちらがいうでもなくいった。
「これは、見事ですねえ。こちらのキャンプ場で準備してくれるんですよね、やはり申し込んでおけばよかった。でも見ることができてよかったです。ありがとうございます。手ぶらでお邪魔するのもあれなので、レストランでおやつを作ってもらってきたんですよ。よろしければどうですか」
釣りのときの印象と違って、父親さんは口数が多くて丁寧だった。手にいくつかお弁当用みたいなパックを持っている。
「ケーキケーキ」
ポチカの横で楽しそうに優が説明した。「開けてもらってからの楽しみだろうー」と渉が父親さんからパックを受け取って、真琴とポチカに中身を見せた。
パックには四角いカラフルなケーキが小分けにされて詰まっていた。上にチョコレートや小さなあめ玉、砂糖のお菓子があしらわれて、炎に照らされてつやつやと輝いている。
「ああ、きれい」
ポチカが身体を伸びあがらせてのぞき込んで、にこにこした。
「すごいだろ。おれのアイデア。――んでおれのオススメはそれ」
「おまえのはない。さっき食べただろ」と渉がぴしりという。
「分かってるよ、説明してるだけー」
「よかったら、すぐるくんも一緒に食べよう? ポチカの分あげるよ」とポチカも嬉しそうだ。「やったぜ」とガッツポーズをする優を、渉が白い目で見ている。
真琴もどのケーキがいいか頭のどこかで考えつつ、お父さんとお母さんのほうを向くと、二人ともはっきりしない表情をして真琴達を眺めていた。
「どれにするんだ、ポチカ」
「んーと、ちょっと悩む。これもいいな、んーこっちもいいなあ」
「ひとつじゃなくてもいいよ、本当にうちの子はさっき食べたんだから」
優とポチカがケーキ選びをしているところへ、少し遅れてきた母親さんが静かにいった。「ここにお邪魔してもいいかな」と真琴の横で体育座りをする。真琴の家で使っているものと違う柔軟剤の匂いが、薪の燃える香りにちょっとの間混じった。
「すみません、わざわざありがとうございますー、気を遣っていただいちゃって」
お母さんが声を高めてキャンプファイヤー越しにいった。笑顔だけれど、ほっぺたがこわばっているようにも見える。
「いえいえ、こちらこそお邪魔しちゃって」
と母親さんは小さく手を振って返事をすると、そのまま口を閉じて炎が空へ向かって燃え上がるのを見つめている。父親さんもお父さんの脇に腰かけて、簡単に自己紹介などをしているようだ。
ポチカが「これにする!」と砂糖でできた人形が載っているケーキを選んで、慎重に指でつまんだ。「下の紙ごと取って、お皿代わりにしてね」と母親さんがいうと、ポチカは両手を添えて真剣な顔でケーキを抜き出した。優もパックを押さえてくれる。
「真琴君はどれにする?」
渉が手を伸ばしてケーキのパックを真琴の前に差し出した。真琴は最初から目をつけていたチョコレートのケーキを選んで、母親さんにお礼をいった。
「ありがとうございます」
「はい。お父さんとお母さんにもあげてね。かわいいのが残った」