木曜レジオ

恥の多い人生ですね(達観)

疑問を持つ練習② リスクコミュニケーション

さて突発的に始めた「疑問を持つ練習」シリーズ第二回のお題は

リスクコミュニケーション

 

探り探りなのでまだ固まっていないが、今回も「正しい答え」を知るというよりは疑問を持ちそれに対して調べる、ということが主目的の記事なのでふわふわしますがよろしくお願いします。

まぁ疑問を持って調べようとした時点でこの記事の目的の80パーセントは達成されてるんだよね。

 

前回疑問を持つ練習① 体脂肪率の測り方 - 木曜の医師国家詩篇

 

 

目次

 

リスクコミュニケーション is 何

去年くらいからタイムラインでこの言葉を見る。医療関係者が使うイメージだ

あまり興味は無かったのだが、某感染症の報道を契機にさらに見るような気がしてきたので調べてみることにした。

とりあえずウィキペディアとかで定義を知る

以下はウィキペディアからの引用である。

 

リスクコミュニケーション (Risk Communication) とは社会を取り巻くリスクに関する正確な情報を、行政、専門家、企業、市民などのステークホルダーである関係主体間で共有し、相互に意思疎通を図ることをいう。合意形成のひとつ。(中略)阪神・淡路大震災において明らかになったように、近年の災害では市町村レベルにおける行政の危機管理能力には一定の限界があり、市民自身の自助能力の必要性が不可欠である。そこで、地域及び地域の安全において不可欠な行政、専門家、企業、市民の役割を明らかにし、そのための意識共有や強力関係づくりの方策として、各主体がともに危機について意見や情報を交換し、共有し合うリスクコミュニケーションが不可欠となってくる。

 

では、さらに他の定義を見てみよう。

【リスクコミュニケーションの思想と技術】より

対象の持つリスクに関する情報を、リスクに関係する人びと(stakeholder)に対して可能な限り開示し、たがいに共考することよって、解決に導く道筋を探す社会的技術のことをリスクコミュニケーションという。

 

意思決定論

定義がわかったところで調べていくとどうやらこの「リスクコミュニケーション」という概念、「意思決定論」と関わりを持ってることがわかってきた。去年ちょうど読んでた本の主題でもあった。

僕たちは合理的であるがゆえに先延ばしする、という話 ー動学的非合理性を踏まえてー - 木曜の医師国家詩篇

 

これも何かの縁ともう少し掘ることにした。

(以下の内容【2016.3.1 内閣府「防災4.0」用プレゼンテーション】

http://www.bousai.go.jp/kaigirep/kenkyu/miraikousou/pdf/dai3kai/shiryo2.pdf

を参考にした)(政府が出したものだけあってというべきかわかりやすくまとめられている気がした)

学情報(統計情報、数量的情報、不確実性 情報)に対し、人は日常的にはヒューリス ティック処理を行うため、短時間で近似解は 出すものの、情報の種類や場面によっては大 きな歪みが生ずることがしばしばある

(D.Kahneman, A.Tversky他による 意思決定研究、1970年代~90年頃)

 

このことからリスクコミュニケーションにおける情報共有についていくつかの注意点が出てくる。その中でも今回興味深く感じたのは「感情」の問題である。

近年意思決定における感情の役割が見直されている

・感情ヒューリスティック:感情(おそれ、喜び、驚き等)は速く、自動的に生じ、それが意思決定を行う際に手がかりとして用いられる

ソマティックマーカー仮説:感情は理性のループの中にあり、一般に考えられているように感情は推論過程をむしろ助けているのでは

・コミュニケーションの二重過程モデル:コミュニケーションでは場合によって異なる2つの過程が働く

ヒューリスティック処理 vs. システマティック処理 直観に基づくシステム1 vs. 論理に基づくシステム2等

 と【2016.3.1 内閣府「防災4.0」用プレゼンテーション】で示されていた。

プレゼン用の資料ということもあり言葉だけであったことについてさらに調べることにした。

 

ヒューリスティック処理

問題の解決や何かを選択する際の意思決定において、簡略化された推論や判断方法を用いて結論に達する方法はヒューリスティックと呼ばれている。一般的にヒューリスティックは、必ずしも最適な結論に達するわけではないが、認知資源を節約できることと結論に至るまでの時間が短いというメリットがある。

全ての情報を用いて十分に吟味し正確さを目指そうとすると、膨大な認知資源と時間を必要とすることになる。すべての意思決定をこの方法で行うと、人とのコミュニケーションや日常生活を送る上で困難が生じることが予想される。ヒューリスティックは円滑な社会生活を送る上で重要な機能であると同時に、様々な錯覚や判断ミスを生み出す要因ともなる。

 

kagaku-jiten.com より引用

 

まぁこれはなんとなくわかる(これこそヒューリスティックだったりするんだろうか)。所謂「勘」や経験則とかも含まれるのだろう。

ソマティックマーカー仮説

さて、ソマティックマーカー仮説とは何か

Damasioは,前頭前野腹内側部(VMPFC; ventromedial prefrontal cortex) を損傷した患者を分析した結果,興味深い事実を発見した.彼らは,知能を 測る様々な心理テストにおいて好成績をおさめながら,肝心の行動場面では 適切な意思決定や行動ができないのである.VMPFC は情動を誘発するため に決定的に重要な部位であり,この部位の損傷は情動の欠如を招く.した がって,VMPFC 損傷患者から Damasio が見出したことは、ようするに情 動が欠如すると,知的な能力は健全でも,意思決定や行動には異常がでると いうことである.(中略)

①情動は対象の価値に応じて誘発された身体状態の変化を含む状態であり,

②このような情動が意思決定において常に無自覚的に選択に バイアスを掛けている,というのが「ソマティック・マーカー仮説」である

 【科学哲学 43-1(2010) ソマティック・マーカー仮説について -アイオワ・ギャンブル課題の解釈をめぐる問題- 西堤 優】

https://www.jstage.jst.go.jp/article/jpssj/43/1/43_1_1_31/_pdf/-char/ja

より引用

 

ここでいう情動とは「ある状況に直面した時の脳に伝えられる身体的な変化」である。それは例えば心拍の上昇であったり筋肉の収縮であったりする。そしてこの「情動」がその対象が自身にとって有益であるか否かの判断材料となるソマティックマーカーである、というわけである。

 

これをもとに考えれば、リスクコミュニケーションにおいては相手の「情動」をコントロールせねばならないということだろうか。

 

感情の重要度

上で感情の(情動の)重要性が語られたわけだが実際にリスクコミュニケーションの場でどれほど感情が重みを持つのか。

 

Twitterでも反ワクチンの人々をいかにして納得させるか、という話で「感情によりそう」という話が出たように思う。果たしてあれは理想論なのかそれとも意思決定論に基づくものと言えるのか。

さらに調べてみることにした。

以下【日本リスク研究学会誌 19(2):44-55(2009) 【原著論文】

リスク認知・リスク判断は感情か理性か: リスクコミュニケーションにおける訴求効果】より引用

 

リスクコミュニケーションにおいては賛成訴求であれ反対訴求であれ理性的基準による訴求が受け手の態度変化に効果があるのに対して(態度変化量の平均値で見れば理性的基準では反対訴求において特に効果的であると見受けられる),感情的基準による訴求,特に,自分の感 情を大事にして判断するべきであるとの訴求は受け手の態度変化にほとんど影響をおよぼさないと考えられる。ただし,市民の感情に配慮した決定 をすべきであるとの基準は賛成訴求において受け 手の態度変化に効果が認められ,この効果は約一 ヶ月の追跡調査においても認められた。一つの解 釈として,これは賛成訴求においてのみ効果が認 められていることから感情的基準だけではなく市 民の政策に対する効力感(controllability)を重視す る,すなわち「皆の感情」が重視されるという訴求の効果も併せて生じていたからではないかとも 考えられる。

 この論文は、大学生を対象に架空のプルサーマル発電についての資料を作成し、その中に

(1)社会・経済的基準[社会・経済的要因が重要で あると訴求する基準],(2)公正・民主的基準[公 正で民主的な手続きが重要であると訴求する基 準],(3)科学技術基準[科学技術的に判断するこ とが重要であると訴求する基準],(4)感情配慮基 準[一般市民の感情に配慮しているかどうかが重 要であると訴求する基準],(5)安心・不安基準[自 分自身が安心か不安かで判断することが重要であ ると訴求する基準]の5種類

の説明を用意しそれぞれが学生たちのプルサーマルへに対する賛否へどのような影響を与えたか、という実験に関するものである。

引用ないでも書かれているが結論として実は感情そのものへの配慮はあまり大きく影響を与えず、科学的な説明の方がより大きな影響を与えている。(先にあげた内閣府のプレゼン資料内においても数値説明が感情を抑制するという旨の記述があり矛盾するもおのではないと思われる)

 

この論文の確かさなどは僕には判断できないが、感情は当初僕が思っていたよりは重要度はどうやら低いようである。となるとTwitterでよく見かける「反ワクチン」の人々の感情に寄り添った説明というやつもどこまで有用なのか疑問符がつくのかもしれない。

もちろんこの実験の対象者が大学生であることには注意すべきである、と論文の著者も述べてはいるが。

 

結論を出すのがこの記事の目的ではないのでやや尻切れとんぼだがこのくらいにしておこう。

ただ今回のこの話はなかなか個人的に面白かったので書きたしていくかもしれない。

ツーか腰が痛くて眠い。