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誰に騙されるというのだ

2020年11月21日 | 読書
 もはや身体や脳みそは「だましだまし」維持していこうと思っているが、世間や社会の「騙し」には要注意だ。「フェイク」という語や現象を、なんだかみんな認めてしまっているような印象がある。「嘘をつくな」が親の教えの一番であった時代は、はるかに遠い。「騙すより騙されたほうが…」そこまでの度量があるか。


『騙されてませんか』(荻原博子  新潮新書)


 副題が「人生を壊すお金の『落とし穴』42」である。来年には高齢者デビュー(笑)する年齢となり、本格的に考えねばならない(もう既に遅しという内なる声もあり)。金に関してはある程度割り切っているし、この新書の一つの結論「慣れないことには手を出すな」は守っているほうだ。波に流されない意志が大切だ。



 「節約編」「投資編」「保険編」「老後編」と構成され、細々した留意事項が記されている。あまり興味なく読み進めたが「貯金好き気質の末路」という章だけは読み入ってしまった。○○投資にも株にも関心がなく、利率が無いに等しい「貯金」をしている自分、そしておそらく多くの庶民の心性がどうして作られたか。


 「貯蓄教育」である。戦後、日本銀行や当時の大蔵省が展開したその教育によって、小学校に設けられた「こども銀行」。現在、五十代後半の教員なら記憶があるか。いや、四十代でも小学生の頃に「こども通帳」を持ち学校で月ごとに貯金した経験をしているはずだ。そのような「コツコツ貯金」が国の方針だった。


 実は、70年代末に教員になった自分が初めて外部からの要請で、研究らしきものを手掛けたのが「金銭教育」という分野だった。一番若いのに代表として県外での会議に参加したこともあった。実践発表の内容は思い出せないが、ただ日銀・大蔵省のお偉いさんの話を聞き、豪華な弁当を出された記憶は残っている。


 教育界ではいつのまにかそんな名称が消えていた。おそらく貯蓄教育から消費者教育、そして投資教育へとシフトしていったはずだ。2000年前後に「投資」という語が様々な場面で使われ出したと思う。結局「金」には絶対的価値はあるが、生かせるかどうかはそれ以外の価値の在り処だ。そこが不確かだと騙される。


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