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七夕の赤い短冊に

2020年07月05日 | 雑記帳
 「誰かに振り回されない日本に!」と赤い短冊に書いた。

 図書館のエントランスに小さな七夕飾りを置き、来館者にも願いを書いてもらおうという企画で、まずは職員からということで一枚手渡された。



 「コロナ退散」と書くのが旬かもしれないし、それはまさしく祈りに近いものだが、今の自分にぴたりと当てはまることはないか。しばし瞑想し、浮かんだままに書きつけた。

 「誰か」とは、具体的に何人かの顔が浮かんだりする。
 それは国の内外を問わず為政者であったり、その陰で暗躍する者であったりする。

 例えば、本県秋田でいえばイージス・アショアの件は、まさしく振り回された感しかない。その騒動?の構造は、歴史的な根深い問題に連なる。そういうことは本当に多くある。

 例えば、コロナは「誰か」には当てはまらないが、その対策に携わるなかに、もし利己的な誘導をしようとする存在がいれば、確実に当てはまるわけで目を凝らさなくてはいけない。

 もしこの短冊を見た人がいたら、誰を思い浮かべるのだろう…などと考えてみたとき、政治的思想がはっきりしている人を除けば、案外その時々のネットやマスコミ情報に左右されて決まるのかもしれない。
 そう思い込まされている現状を作りだしている「誰か」もいることになる。


 だから、「日本」とは書いたが実は「自分」という意味が強くあるという結論になる。

 頑なであれと言っているわけではない。

 何が目的ですか。どんなことをしたいのですか、自分に問いかけてみる…抽象的な思いをもう一度確かめ、徐々に具体的な点に降ろしていく。
 または、明確に細かく決めなくとも、やってみることで心にフィットすることだってあるかもしれない。

 と、こんなふうに思えることを良しとはするが、心の裏側では「思いきり振りまわされてみるか」と舌の出ている顔も見える。

 まあ、そもそも赤い短冊というのは「感謝」を表わす意味があるそうな。

 まずは、健康と家族に感謝だな。


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