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批判が頭上に下りてくる

2020年04月05日 | 教育ノート
 昨日書いた情報冊子の記事で目に留まったもう一つは、秋田大学の阿部昇教授の特別寄稿。内容は「PISA『読解力』15位の要因を探る」と題され、その原因について、今回新たに加わった「質と信ぴょう性を評価する」「矛盾を見つけて対処する」に関する設問の正答率が悪かったことを指摘し、改善点を述べている。


 阿部教授の文章は久々だが、以前からの主張と変わりない。つまり「文章や作品を評価したり批判したりする授業、そしてそれについて論議したり表現したりする授業がほとんどない」という内容である。従って今回の結果は、先生が尽力した「批判的読解」が結局根付かなかったという証左とも言えるのではないか。


 調査の目的や価値はさておき、大学教育のみならず小・中の教育に大きな影響を及ぼしているだろう阿部教授が、こうした見解を述べることを「敗北宣言」と捉えるのは大袈裟だろうか。「日本の教育の弱点を顕在化させてくれた」と前向きに結んではいるが、押しても引いても動かぬ岩があると感じるのは、私だけか。



 評価的・批判的思考の重要性、それらを具現化する学習法などの資料、書籍などは溢れている。しかしその情報を学校、教室いや社会として受けとめる素地があまりに弱い。「1世帯2マスク配布」に対する嘲笑、揶揄等より、この施策が作りだされる構造そのものに、多くが加担しているという評価を出来ないでいる。


 改訂学習指導要領には、文章や作品を批判的に読む要素が重視され、教科書にも学習頁が設定される。それ自体は喜ばしい。しかし使う側の意識が向けられない限り有効性は薄い。批判によって成立する生産性を自ら実感していない者にとっては難しい…ではオマエはやってきたのか、また自己批判で終わりそうだ。


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