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桜と絵本と豆乳と

目の前の人を笑わす幸せ

2020年12月01日 | 読書
 先週、某小学校の低学年の読み聞かせを終えたら、担任の先生が子供たちに向かって「最近、こんなに笑ったの、久しぶりだねえ」と声をかけてくださった。とても嬉しかった。おそらくは閉塞感がじわりじわりと強くなる現場、そして今年の状況のなかで、ほんのひと時でもそういう場を持つことの大事さ。心したい。


『笑う脳』(茂木健一郎  アスキー新書)


 10年以上前の発刊だ。しかし今でも、いや今だからこそ余計に心に沁み込んでくるような一冊だった。著者の本は結構多く読んでいるが、ベスト3には入る面白さだ。6章にわたる本文と、対談(春風亭昇太・しりあがり寿・内田樹・桑原茂一)と閑話休題と名づけたブログ日記で構成されている。読み応えがあった。


 この閑話休題が特に興味深く感じた。終盤でネタ明かしがされるが、それには触れない。その1が「空き地連盟」と題され、ある住宅街で立札を立てて空き地を開放している方を取り上げていた。この発想はよく語られるとはいえ、なかなか実行できない。改めて、何度も、繰り返しこの考えを拡げていけないものか。

「私たちは、人生の中に、『空き地』を必要としている。すべての時間が目的が決まり、管理されたものであってはいけない」


 笑いの効能を説く本はたくさん出ている。だからと言って、何でも笑えばいいものでもない。誰しも認める笑いの一つは、赤ちゃんの笑顔だろうか。それとTVやネットが時々流す下品な笑いとは差があるだろう。一つは笑いの質ということ。そして笑いの距離感だ。問うまでもないがどちらが大切か。今確かめよ。

「遠くにいる顔の見えない誰かより、『いま、ここ』の目の前にいる人が一番大事だと。その人を笑わせることが出来たら、もうそれで幸せだって。」


 コロナ禍によって現在加速中の変化(ネットの原理的限界を軽視したコミュニケーション)が大事なことを萎ませていると、もう一度意識するべきだ。流れは止められないけれど、それに対応した工夫をしないと、人間が「生きた肉体を持った」存在であることが希薄になり、生きる実感を失っていくのではないか。

「一瞬一瞬こそが、命の儚さそのものなんです。だから、この場限りの親密な関係に没入していくことが、今の僕たちには必要なんです」


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