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「綱」を罠にしてはいけない

2020年11月29日 | 雑記帳
 『ランキングの罠』(田村秀 ちくま文庫)に、ランクや格付けということで、相撲の番付表の記述があった。江戸時代からの歴史があることは知っている。大相撲の場合は、例えば他の多くのプロスポーツなどとは違って、勝敗の積み重ねによって序列が決まり、固定期間が長い特殊性があることを、今さら思った。


 当然、力のある者が上位にいる。文中にも横綱と序二段の力士が戦って通常逆転現象が起こらないとあった。他のスポーツもそうだが、明確に格付けされている典型だ。最高位には揺るがない実力と品位が求められる。何が言いたいか。ぴんとくる人もいるだろう。「横綱」問題である。今の状況は何を意味しているか。



 最高位が最高位であることを示せなかったら、意味ないじゃん!と言いたくなる。もちろん、それは今までの積み重ねゆえに勝ち取った称号ゆえに、ボクシングのタイトルマッチのように一度の勝負で決めることが妥当だとは思わない。しかし、である。「力」を示せる状態にならないから出場しないは、既に黒星と同じだ。


 厳しいが、出場に到らないという努力の欠如には責任がある。当然組織的な思惑もあろう。けれど最大は個人の決断だ。二人の横綱がこの国で活躍するため備えた並外れた力量や努力には敬意を払う。しかし、今後の出処進退を想うならば、そこに必要なのは「潔さ」であると、大多数の?日本人は考えるのではないか。


 NHKの「大相撲どすこい研」という番組があった。決まり手などを特集し興味深く観た。体格に合わせてバラエティに富む技があって当然だし、面白さも増す。しかしやはり力士も観る者も最終的には真っ向勝負が一番と思わせられた。それは技能ではなく精神面もしかり。土俵入りに締める横綱は罠ではないのだ。


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