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「死ぬほど」と言える幸せ

2019年04月24日 | 読書
 著者は間違いなく日本を代表する知生派の一人だと思うが、それにしてはエキセントリックな書名だ。ただ、仮に編集サイドが命名したとしても著者は了解しているはずだから、ここにそれだけの「決意」があるはずだ。全編を通してその熱が伝わってくる書きぶりだった。読書人としての矜持、軸を体現化している。


2019読了40
 『死ぬほど読書』(丹羽宇一郎  幻冬舎新書)



 「はじめに」に結論が集約されていると思った。大学生の投書(2017.3.8朝日新聞)は「読書はしないといけないの?」という素朴かつ深刻な問いだったが、著者は「読まなくても本人の勝手」と突き放す。一方ですぐ役に立たない、効率の悪いものを避ける価値観に毒されている現状を救えるのは「読書」だと強調する。


 本を読むことは強制ではないと言い切りながら、読書の楽しみを知ることによって得られるものの大きさや深さについて、自分の体験を語る。「知」への向き合い方が決定づけた仕事上のエピソードも随所に入れながら、読書行為がいかに「理性の血」を体中に豊かに巡らせてくれるか、説得力のある内容に溢れている。


 著者なりの「読書術」も興味深い。曰く「読みながら考えないと身につかない」「人がすすめる本は当てにならない」「ハウツー本は読まない」。なかでも救われたのは「見栄をはるための読書にも意味はある」だ。読書メモを公開していると、なんとなく選書にも虚栄心が入り込むこともあり若干気になっていたことだ。


 著者は「虚栄心があるからこそ」「虚栄心を上手に使えば」と、その心の自然な現象を転化させるよう勧めている。正直もう難しい本には手が出ないと思いつつ、気取ってページをめくると新しい世界が開けることも確かにある。本の持つ出逢いの要素は無限大と言っていいかもしれない。その魅力に気づく幸せがある。

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