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「安全・安心」の甘さに喝

2020年05月29日 | 雑記帳
 題名を見て自分にも当てはまるかと思いつつ、『「昔はよかった」病』(パオロ・マッツァリーノ)という新書を読んだ。13章にわたり治安やクレーム、絆とふれあい、商店街等々昔との比較で話題になりそう点が、暴き出され?ている。しかし冒頭が「火の用心」の夜回り風習の事で、いささか興味を失くしたのだが…。


 第8章「安全・安心ウォーZ」で、ぐっと惹きつけられた。教職最後の十数年に、この「安全・安心」というフレーズをいやというほど聞いてきた脳が反応したのだろう。何度も繰り返されて「またか」と慣れてしまい、じっくり考えずに過ごしてきたが、何か小さなわだかまりが残っていて、そこが刺激されたのだ。


 著者は、章の冒頭「”安全”と”安心”は水と油ほど違う」と言い切る。確かに語意そのものは違うのだが、何故か「安全・安心」とセットにされて法規化されたり吹聴されたりしている。「決定的な違いは、危険(リスク)に対する態度」にあり、安全確保が安心につながるという通俗的な文言の甘さを指摘しているのだ。


 つまり「安心はこころの状態」に過ぎず、現実の危険と冷静に向き合う「安全対策」とは、ある面で相容れない。それを使う矛盾を著者はこう語る。「安心は、安全であることを保障しないのです。安全の実現のためには、安心することは許されません。」屁理屈を超えて、二語を並べる精神が中途半端を引き起こさせる。


 「安全・安心」が頻繁に使われ出したのは90年代後半。歴史的な事件等を紐解いても理由はわかる。政治家のスローガンとしてもよく使われ、実際に優先されているのはどうやら「安心」の方だ。統計的・科学的に探る「安全」がないがしろにされるから、先の「マスク」のような政策になるのではないかと気づく。


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